悪人なおもて往生す

投稿日:2017年4月24日 更新日:

歎異抄にかかれた悪人正機説だ。
(阿弥陀仏の本願(他力本願)は悪人こそ主正の機根がある)
当時の時代背景はほんとにすさんだ社会背景であり、
この世で自分が救われないような時代に「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われると諭す。
しかし、日常生活も他人の事も考え善行に励み「南無阿弥陀仏」を唱える善良な信者にとって、世の中で悪人といわれる人を傷つけ、
社会の掟を守らないような人も往生できるのはおかしいと思うのが普通だ。

ところが善人、悪人と人間が勝手に決めているだけで、
光はどんな人もあまねく平等に照らされてるように、
悪人、善人を隔てないのは「阿弥陀仏」だというのである。

孫悟空の話では悟空がいろいろ智慧を働かせ妖怪退治をやるストーリーだが、
実は阿弥陀さんの手のひらでの出来事だったと結ばれている。
(現代に生きる人間も同じ)

将に人間世界の話しで、仏の世界では一切が平等なのである。
之は単に仏教の世界だけではありません。

キリスト教の世界でも同じような説法がある。

あるとき売春婦が善良だと思ってる市民に石を投げられていた。
そこを通りかかったキリストが、
「自分の中を顧みて神に対して恥じない人がいたならば、
この女に石を打てばよい」

そうすると一人、一人とその場を去り石を投げる人がいなくなった。

また「マタイ・5・45」には、
「天の父はその日を悪しき者の上にも、善き者の上にも昇らせ、
雨を正しきものにも、正しからざる者にも降らせ給うなり」

この言葉は悪人正気説と同じ意味を持つのだ。
仏教では「慈悲」といい悲しみを取り恵みを与える利他行することである。
キリスト教では「愛」(アガペー与える愛)というのである。

求める愛(エロス)から与える愛(アガペー)へとキリスト教では諭す。
与える愛は自己犠牲を伴うというのである。
仏教では自己犠牲でなく自我を捨てるというのであるが意味するところは同じだ。

皆さんは悪人と善人、自分の中にないですか?

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