当たり前に感謝する

投稿日:2017年4月17日 更新日:

2月に伊勢神宮に行く機会があった。
もちろん石津川で清めて、社殿に歩き出した。
平日だというのに岐阜からの団体客や海外の人たちでいっぱいであった。

とても清清しい気分になり、参拝を終え、おかげ横丁で赤福もちを食べたのである。
純粋に神を信じて祈る。純粋な祈りとは自分の幸せを一番に祈るのでなく、
宮沢賢治のように「みんなの幸せが実現しなければ私の幸せはない」という祈りだ。

そんな祈り方を心からできる人はいるのだろうか?
それがほんとに天に届き奇跡を起こすことができるのかは信じる以外ない。

そんなことを考えて、二拝二拍手一拝の参拝を済ませた。
自分がちっぽけな小市民的な祈りと願いの持ち主である事に気付かされた。
宮沢賢治のように自分以外の人の幸せを100%願い祈る魂を授かりたい思った。

さて、世界三代幸福論のアランは私たちの心の持ち方を指し示してくれているので紹介する。
1.「楽観主義は誓いを必要とする。
悲しくなるような考えは、すべて間違った考えである」
100%悲観するな100%楽観主義でいる覚悟だ。

2.「必然的に起こることをあらがっても無駄だ。
また自分に最初から備わっているものをいくら否定しても仕方がない。
何もかも自分の意のままになるわけではない。
必然性を認め、そのまま受け入れなければならない。
それができたとき、初めて対処の仕方も浮かぶというものだ。
そして、道理の通り生きられる。
それは道理に反発して生きるよりもずっと容易だし、
らくちんなものだ。
現実絶対肯定100%受け入れる事から知恵が生まれるのだ。
普通は好きだ嫌いだ、損だ得だと迷い悩み、本能心に影響される。

3.「心からの希望には、ものごとの流れを変える力がある。」
「すべてに感謝、すべてに希望なら、理由が生まれる。予兆から成功が生まれる。」
現実絶対積極で明るく、前向きな心の姿勢は中村天風流の教えと同じだ。
すべてに感謝とは「息する事」「手が動くこと」「眼が明いて見れること」
「食事がおいしい事」「腰が曲がる事」「人と話せること。(良い話も悪い話も)」
「笑顔で笑える事」「旅で新しい体験する事」
このすべてだ。

「すべてに感謝すると腹が立たなくなった」と友人が言う。
私はまだまだ修行が足らないと自覚する次第だ。

皆さんは当たり前に感謝されていますか?

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