カール・ヒルティーの幸福論に思う

投稿日:2016年3月22日 更新日:

弊社の理念は「幸福創造カンパニー」だ。
もともとは「幸福追求カンパニー」だったが、
これでは自分の外に幸福があるのを探すのが人生になる。

あるとき、外にあるのでなく中にあることに気づき、
自ら創りだすことだと「幸福創造」に変えた経緯がある。

その後、東洋的なモノの見方で自ら創りだす心を創るには、
慧能大観の「本来無一物、無尽蔵」と言う言葉に共感し、
自らも無一物になりきるのだが、仲間とも一体感が重要と考えベクトルを共有してきた。

西洋的なキリストの世界観とは相容れないと思い込んでいたが、
京都大学名誉教授の奥田昌道さんのヒルティーの幸福論の解説に共感した次第だ。

「ヒルティーは決して、人生を手放しで明るいなんて考えていなかった。
困難な人生と言うことを前提としながら、神と共にあるということによって、
喜ばしい魂に変えられていくことを説いています。
「マタイ福音書」の言葉を引いて、
『先ず神の国と神の義とを求めなさい。そうすればこれらのものはすべて添えて与えられる』
神様の御心に従った生活をしていれば、幸福はひとりでによってくる。
それが神からの祝福であり、神の保証した幸福なんだ。」

つまり、幸福そのものを追求したら、結局は人間のエゴを満たすことだけになって、
それに縛られて不自由になってしまう。
奥田教授はヒルティーの言いたかったことをこのようにまとめられた。

東洋的には『本来無一物』とは人間は0(無我)になることを説く。
ヒルティーは逆に現実から意味ない人生になると説くのである。
モノや地位や金といった物質を求めることは、人間のエゴを満たすだけのことだと言い切ってる。

最も重要なことは行動の『意味』だ。

この行動の主人が『エゴ』か『利他』か「0」(無我)か問われる。
われわれ凡人は神父でも禅師でもなく、
世の中の欲望の中で生きてるから『利他』一番にすることだ。
時々『0』の人を見ることがある。
しかし、その人に感じるのは現実の欲望の中(世間)を生き抜き、新しく切り開くのでなく、
自分ひとりが『悟ってる』と現実の中に飛び込まない傍観者の虚無主義者が多い。

行動の意味がモノや金に振り回されなく、
エゴを離れ自分の心がその意味に納得し腑に落ちれば、
今ここがすべて「幸福でり、幸福創造できる」心の持ち方を獲得したことになる。
ヒルティーはこういいたかったのではなかろうか?

皆さんは『幸福』を何に求めていますか?

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