一つの考えに固執するな

投稿日:2017年1月25日 更新日:

荘子・大宗師篇に「坐忘問答」として知られている孔子と顔回の話がある。
今年の年賀状に書かせてもらった。

どんな人も若いときには理想を追っかけるのが普通だ。
頭の中でつくった理想と現実の矛盾に一喜一憂するのだ。
「論語」にであったのは30代ぐらいだったが、
あまりにも人格高潔すぎて近寄りがたくおもっていて、
深く読み込まず、猿芝居を演じながら世渡りをしていた。
(モノがわかった人から見るとこっけいだったろうな)

40代になって、人間に共通する価値を探さないと事業がうまく行かないことに気づき、
京セラの稲盛さんが主催してる「盛和塾」に入熟した。

「利他行」を実践しろ、心を高め経営を伸ばせとおっしゃられ、
経常利益は10%生み出せないと事業を継続して出来ないと断言される。

理念と現実が一体になった哲学を持って事業経営をされている。
私の恩師は臨済禅を深く学ばれた小田切瑞穂という理論物理学者だ。

稲盛さんのようにわかりやすくないが言ってることは同じだ。

老子の言葉に「天地不仁」という言葉がある。
人間が勝手に「仁・義・礼・楽」という徳目を作ったが、
天地には仁なんかない、人間界のことだ。
こだわることはない。
命という原点に返って素直に事実と向き合えというのが老子の真意だ。

道元はそれを一言で「身心脱落」と如浄禅師から学んだ。

さて、「坐忘問答」は素晴らしい思索を与えてくれるので皆さんに紹介させていただく。

ある時顔回が孔子に言った。
「私も少しばかり解ってきました」
「なにをわかったのだ」
「私は仁義を忘れることができました」
「なかなかの進歩だが、まだ充分とはいえないな」
後日、顔回がふたたび孔子に告げた。
「私は新たに進境がありました」
「ほう、それはどのようなことかな」
「私は礼楽(礼節と音楽)を忘れることができるようになりました」
「なるほど、確かに進歩したな。でも、まだたりないな」
さらに後日、顔回が孔子に向かって、今度はこう告げた。
「私は坐忘することができました」
これを聞いた孔子は、思わず笑みをたたえた。
「坐忘とはどういうことかね」
と問い返した。顔回が言った。
「坐忘とは、自分の身体や手足の存在を忘れ去り、
耳や眼の働きをなくし、自分の肉体を離れ、
心の知を捨て去り、あらゆるこだわりを超えた道の世界に同化することです。」
これを聞いて孔子は、ハタと膝を打ち、
「そうだ。道と一体になれば、もはや好き嫌いの差別の心はなくなるし、
あるがままに従えば一定のものを追い求める心もなくなる。
いや、お前はたいしたものだ。
これからは私もお前について教えを請わなければならないな」

この心境は決して傍観者の虚無主義ではない。
現実の事実の中に飛び込んでいるが、分別せず命の原点に立つ姿勢だ。
頭であれこれ考えることも大事だが、人間の枠を超えれないという不自由がある。
自分が善であれ悪であれ、
人間の枠でいると自分の価値を正当化して生きてるのが現実だ。
だから人間関係が難しいコミュニケーションが厄介だとなる。
結果、生きることは苦行だという答えを出すのだ。
実はどんなことも分別せず、飛び込んでいく勇気だけあればいい。
そこに智慧も生まれ、未来の密の第一歩となり開ける。
悩んだり苦しんでいると恩師は二つのことを良く諭した。
1.身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり
2.頭を空っぽにしろ

皆さんは自分の一つの価値に振り回されていませんか?

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