この言葉は禅語である。
歴史を紐解いて思い出すエピソードは「元寇」である。
鎌倉時代に元が二度にわたって日本を攻めてきた。
執権、北条時宗が日頃から獅子吼していた無学祖元禅師に言われた言葉だ。
時宗は元の武将の武器や攻め方の情報が少なく、
「不安」と「恐怖」で心穏やかでなかったに違いない。
禅師は「莫妄想」と渇をくらわし、現実をしっかり見つめさせたのだろう。
妄想=1.色気、食い気、欲気と言う本能的邪念、空想、迷信(一般的)
2.生死、善悪、是非、勝敗といった相対する概念を作り出し、
どちらか一方に執着して苦しみ迷う分別知を指して言う。
莫=なかれ=禁止することを意味する。
逆に言うと全身全霊一心不乱にやりぬけという意味である。
勉強のときは勉強し、遊ぶときは遊び、そのものに成り切り集中して行動し、
邪念を払い分別(善悪、生死、損得、好き嫌いの分別しない事)せず、
事実に真正面からぶつかる事だ。(これを持続的にするには修行がいる)
中村天風流に言うと、
「心に余計な妄念が溜まっているから気が散るのだ。
それを払い去って、澄み切った気持ちになれば、
心に余裕ができる。
心の前に現れるすべてのことを受け入れられる事が、
できるようになる。
これがコンセントレーション(集中)だ。
こうなれば仕事は片っ端から自然に片付いて、
そういうことを面倒くさいとは思わないのだ。」
過日も書きましたが、御釈迦さんが出家した原因は生きることへの「恐怖心」でありました。
生きることを阻害してるのは「欲心」と相対的(分別知)に物事をとらえ、善にとらわれ、
勝ちにとらわれ、生にとらわれ執着が実現しないための生まれる「恐怖心」であることに気づかれるのだ。
禅では「今、ここ、自己」に徹せよ!
道元は「有時而今」(うじじこん)と諭してる。
今に、一心不乱に仕事・人生が送れたら、
末来は必ず開いていく事間違いなしである。(できるかはやって見なければ答えが出ない)
皆さんは妄想で苦しんでいますか?妄想せず人生楽園と楽しんでますか?