仕事の目的は、物質的にも、精神的にも豊かになることが重要だ。
お金が高額にもらえるだけで生きがいのない仕事が長く続けられるでしょうか?
逆に生きがいはあるが生活費も稼げない薄給では長くは続かないだろう。
二宮尊徳流に言えば、「生きがいのない高給は罪悪、生きがいのある薄給は寝言」ということになる。
お金を目的に仕事をする守銭奴のようになることも自分の心ひとつで決められるのが人間だ。
「お金が欲しい」という思いが行き過ぎたら、人間は嘘をついて他人のお金を騙し取ることもやりかねない詐欺師にもなれる。
一方、生きがいを求めて全身全霊を他人や社会のために尽くし、無休で活動するが生活困窮して死んでしまうことも自分で決められる。
また、生きる根本的な悩みを解決するべく、出家して坊さんの修行をして解脱することで生きる人もいる。
資本主義も行き過ぎたら所得格差を産み、共産主義のイデオロギーの唯物論は労働の目的を「報酬を得ること」と断言しすぎる。
私たちが一生懸命働けば、報酬だけでなく他人から感謝されたり喜ばれることによって「心の豊かさ」や「心の安らぎ」を得ることもでき、生きがいややりがいに繋がっていく。
仕事をすることは報酬も得られ、生きがいも得られ、自己の行動の反省をして自らの人間力を高められる。
「万病に効く薬」が仕事だと稲盛和夫さんは言う。
私たち日本人は「働く」というのを「傍(はた)を楽にする」というように考えている傾向がある。そして働くことを労働とは言わなく、事に仕える「仕事」というのである。
辞書で調べると下記のように書かれていた。
仕事の目的=「自分」「周囲」「社会」のいずれかを幸せにすること。
どんな仕事をするか、仕事の中身は手段だと書かれている。
仕事の意味=社会の中での自分の「役割」を見つけ、同時に自分の「志」を実現する手段。
与えられると窮屈になり、自ら掴み取るとワクワクとしてくるもの。
生きがいでもあり、生きる糧を得るための手段でもある、
己を見つめなおすための修行でもあり、人としての真っ当な営み。
明治の近代国家建設に「富国強兵」ということを旗印にして世界に追いつこうとして、戦争を起こすことになった歴史がある。
高度に発達した資本主義のさらなる成長は、自己革新を旗印に「足るを知る」心を育成し、「富国有徳」の人材育成が重要課題だ。
近代国家を建設した一人の渋沢栄一は、「公益資本主義」を標榜して私利私欲の経済では一部の人間だけが得をするから大きく飛躍しないと公益を目指した。
昨今の経営者では日本航空を再建した稲盛さんも利他行をやることを推奨され、物心両面の豊かさを実現させるために事業に邁進された。
そこには、人間としての公明正大な良心から発する経営哲学がある。
「動機善なりや、私心なかりしか」と公言してやまない事業姿勢の覚悟が感じ取れる。
自己変革は「有徳」を磨くことだと共感する次第である。
皆さんは仕事の意義と目的いかが考えられますか?