「三方良し」

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今朝の朝日新聞に、「三方良し」の近江商人の38家の家訓を調べたところ8割が「高い公共性と低い利潤」を目指していたという記事があった。
言い換えると、最近盛んに言われ出したSDGsである。
近江商人は事業の拡大ではなく持続性を基本に置いていた。
「金は天下の回り物」という言葉があるように、循環型の経済を考えたのである。
「お金は世間様から預かっているだけ」という考えで、自分のものとは言わない。
始末とケチが違うように、利己的な守銭奴はケチで、モノを大切にする始末家は人道にかなっている。

だから商売も私的に利潤追求するというより、公人として社会に貢献することによって、社寺を普請(お助け普請)するのに寄付すると職人は技術が磨け、お金が入り材木屋も仕事になり、みんな生活するのに消費する。お金が循環するのである。
商人というより国の経済担当の公人であり、資本主義とは違う世間主義という考え方である。
言い換えると、お金には利潤は低く人格は高くという「良心」を基準に考え、自分の儲けや利益を優先したのではないということだ。

商人の世界には、雇人が丁稚を10年、手代を10年すれば、御店(おたな)が雇人に店を持たせる住み込みの制度があった。
雇人も世間からの預かり者なので、行儀作法の躾をしっかり教育するのである。休みは盆と正月だけである。
故郷に帰る時は、「丁稚ようかん」と言って普通のようかんを薄めたものを手土産に持って帰らせるのだ。
士農工商の身分による差のある時代、待遇にはかなりきつい差があるが、年季が明けたら店を持たせてもらう夢があった。

一方、欧米はアダム・スミスの「国富論」に見るように、個人が確立して合理性が発達していたので、利己的な競争はすれども「公平な観察者」見えざる手で調整されるというように理解し、どんどん分業によって生産を上げ、科学技術を進歩させた。
人間を磨くのは教会であって、仕事上ではないと割り切った合理性で今日まで進んできた。
ところが、地球温暖化で気候が異変を起こし、災害が多くなってきた現実を見て、人間本意の経済学では地球が持たないと考え出したのがSDGsである。

現代になり、再び日本が誇る近江商人の知恵の「三方良し」の時代が来たのだ。
今の日本は欧米に学び個人主義ではなく、わがまま主義の利己心が肥大化している。
確かに、村社会からの解放によって伝統や掟に縛られない自由を手にしたが、一方では共生の思いがへこんでしまい孤独な人が増えているのが現実だ。

今こそ日本の善き商人道の「三方良し」を実行するときが来ている。

皆さんはいかが思われますか?

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