「心の師となれ」

投稿日:2021年9月19日 更新日:

今朝5時からNHKで宗教の時間という放送があった。
朝のコーヒーを飲みながら見ていたら、「瞑想」についてと、アメリカなんかでやっている「マインドフルネスの瞑想」の違いについて語られていた。

アメリカは2001年9月11日のNYの同時多発テロで、死者約2900人、負傷者約2万人を出して、その後アフガニスタンへ侵攻しビンラディンを射殺するまで20年間駐屯し、その間米兵は7000人が死亡し、タリバンは30万人の死者を出したと言われている。
この過酷な中を米兵は生き抜いて、戦地から引き揚げてもPTSDやうつ病といった精神障害を発症する。
そこで考えられたのがマインドフルネスという瞑想法だが、仏教とは根本的に違う。
仏教は他者救済のために瞑想するというはっきりとした目的を持っているが、アメリカ軍が使っているマインドフルネスの瞑想は戦地での任務に迷わないようにするのが目的だ。

このようなことが話されていた。
坐禅という瞑想法は肉体的な体験で、伝えることが大変難しく、仏典は文字で口伝できるが坐禅はできない。
にもかかわらず、曹洞宗の道元のような人が現れ、また江戸時代には臨済禅の中興の祖と言われる白隠禅師が現れている。
道元のように「只管打座(しかんたざ)」と何が起こってもビクともしないで坐するのは単なる自己満足ではない。
死を超えて、法を伝える他者救済の境地なのだ。
「十牛図」のように牛の足跡からの己事究明から始まり、生死を越えて、なお自然と社会の中に生き、他者救済の使命を現実に行動することで自己が磨かれていく瞑想なのだ。

瞑想とは「妄想を除かず、真を求めず、無明の実性即仏性、幻化の空身即仏心」といって、0になってすべてを100%受容することで、能大観のように「人間本来無一物、無一物なればこそ無尽蔵」と自在になる。
心と身体の師となってこそ本来の自己に出会えるのが真の瞑想だ。
道元は「仏道をならうとは、自己をならうなり、自己をならうとは、自己をわするるなり、自己をわするるとは、万法に証せらるるなり、万法に証せらるるとは自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」と『現成公案』で言っている。

道元が言いたいのは、「心」というのがあるのでなく、万法に証せられるという「関係性の中の自己」があるだけという意味なんですね。
「心」と「縁」によって常に変わるのが普通なんですよ。
それを「縁」によって自己が生ずるということになる。

皆さんは心が自分だと思って振り回されてませんか?

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