大阪石材社長ブログ

「科学と哲学」を生かした経営

投稿日:2022年12月8日 更新日:


「科学なき哲学はたわごと、哲学なき科学は罪悪」
二宮尊徳流に解釈するとわかりやすい。
科学は人間の五感から入った情報を法則まで導き出して意識を産み出す。唯物論では「存在は意識を決定する」というのである。逆に唯心論的な立場で考えると「意識は存在(環境)を創造する」と言える。

昨今は科学万能主義の唯物論者が理路整然と因果関係を説けることが真理だと断定する傾向がある。
時系列で考えると「科学」は過去と現在で、「哲学」は現在と未来と言える。
例えば、「月に行きたい」という思いを抱く。強く強く思い、自然の中の法則を科学したものすべてを使って、月の旅へ環境を推理し対応策を講じて実現させる。
月探査ロケットの開発は人類の未来の住処発見にもなる科学の平和利用と言える。
しかし一方で、科学の進化は戦争時の武器製造に飛躍すると言われる。
まさに哲学なき科学は罪悪になる。
科学はあくまでも思い(意識)を具体化する時の手段に過ぎないが、使い方によっては善にも悪にもなり、自らを亡ぼしかねない。

さて、人間が自分を自己肯定するのは「存在」であり、「意識」は情報の量と質によって変化する方法手段なので、自己否定して知恵を出す。ところが、科学至上主義者は知識で意識化した理性こそ自分の主体と考える傾向が強くなる。言い換えると、変化すべき手段を自己肯定し、存在を自己否定し神になったようになる。
本来は逆で、「存在」を自己肯定し、自然の分身だから自分だ。そして、意識を固定化せず、変化させ、柔軟性を持って行動に転嫁する。
その根本は、人間は自然の一部であることから「自分」であり、自然のエネルギー(氣)が満ちてるが、努力によって引き出すには「善思善行」を実行する。故に、意識という手段も「善」を具現化するように働くのである。

「『利他行』して心(意識)を高め、経営を伸ばそう」と真剣に説かれたのは、京セラの創業者である故稲盛和夫さんだ。唯心論こそが現実をさらに良くし、発展、進化させる経営の基本姿勢であると同時に「何が正しいか」を自問自答し、「私心なく動機善」を旗印にされ、仕事道であり事業の発展進化の原動力を貨幣という資本でなく、人間の心を資本に経営を貫かれた。
その経営は資本効率を求めた時短、コスト削減でなく、人間の智慧を生かした時間創造であり、空間創造の経営だ。
科学的な経営は働く人は経費扱いで、人件費の削減で自動化し効率良くするために機械化する。
人間が資本であり、心を高め人格を創造して働く生きがいある経営が望まれるのがこれから未来型の経営に違いない。

みなさんは科学と哲学を活かして、生きがいある仕事に取り組んでますか?

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