大阪石材社長ブログ

「富国有徳」の組織を目指して

投稿日:2023年2月9日 更新日:

私がこの事業を始めたのは、もう50年程前になる。
その時の世相は経済優先のカネカネモノモノ主義が主流で、儲かることをするのが善だという拝金主義が横行していた時代だった。
20代後半の私の目には、人間としての「心」をどこかに忘れているように映ったものだった。

1918年に作家の武者小路実篤は人道的に人間らしく生きる「新しき村」を提唱し、共感した人が集まり、宮崎県児湯郡木城村 (現木城町) に村落共同体を創設した。
その後、ダム建設により埼玉県毛呂山町に移転することとなったものの、2019年には開村100年を迎え、今は2家族3人が暮らしているそうだ。
この「新しき村」構想は「モノ(金)か心か」という矛盾の一つの解決方法だった訳だが、勿論、その後、発展・進化したとは言えず、経済的な活動に課題があったように感じる。
二宮尊徳流に言うと「道徳なき経済は罪悪、経済なき道徳はたわごと」であり、この調和をさせることが重要だ。

私たちは集団として経済的に発展・進化しなければならず、さらに人間としても徳を備えた人格にならねばならないことを同時に解決するべく、同じ志を持つ者が集まって、互いが助け合い、支え合って起業して世の中に問うてみようと始めたのが、産業企画グループだ。
近畿産業企画グループ、四国産業企画グループ、埼玉産業企画グループと拠点を創り同志が集まった。
私の恩師である理論物理学者の小田切瑞穂先生の発案もあって、次なる事業計画を企てようと、白糖のかわりにステビアを植え、植物から砂糖をとる、あるいは四国の急こう配の処にそばを植え、地域の特産物にしようとアイデアが出て、その中の一つが愛媛県の地場産業の石材を全国に普及しようという企画だった。

47年目に入った石材事業は資本主義の荒波に揉まれながらも、資本に飲み込まれることなく、コツコツ泳いできたのが事実だ。
しかし、今も経済的自立と人格陶冶をして、徳を身につけ、互いが信頼し合う集団を目指すという根本のスタンスは変わらない。
この種を蒔かれたのは、前述した小田切先生だ。
恩師は東方学術院という組織を作って、特に禅的な学びを指導するとともに独自の哲学の潜態論を説いておられた。
その当時は何かワクワクする未来を夢見て楽しかったが、いざ事業をすると、嘘ついてごまかす奴や、他社に「自分はそんな人格陶冶する学びをしている」と売り込み、賃金の高いところに鞍替えする人も出てくる始末だった。
現実にやってみると人間は利己的な利益を優先するのが本能だと思い知らされる。
恩師に報告、相談に行くと「君の人を見る目が甘いだけ。何を泣きごと言っているのか。」と突き飛ばされたことを鮮明に覚えている。
誰も助けてはくれない、自分で切り拓くしかない。
何度も何度も心が折れ立ち上がり、また心が折れては立ち上がりを繰り返した。

自由主義社会は精神的に自由なようだが、資本を持っている人が儲かるようになっており、貧富の差が激しいのが現実だ。
物質的不平等だ。
一方、専制主義的な社会の隣国は「一国二制度」を掲げて、政治は専制的で精神的自由は阻害されているが、経済は自由主義的にしており物質的な経済は自由だ。
昨年11月末頃、厳しいゼロコロナ政策により物質的自由が奪われたことで不満が爆発し各地でデモが起こり騒いでいたが、12月になり緩和されることになったというニュースも記憶に新しい。

さて人間の遺伝子は利己心だという。
経済的な豊かさを作らなければ人道的な人格形成もできないのが事実だ。
まさに、同時なんだ。

石材というニッチな市場で資本が参入するにはうま味がない事業だから初期の志を貫けた。
これからさらに発展・進化するためには、志を共有する友を見付け、さらなる啓蒙活動と同時に自らをも磨く必要がある。
論語李氏第十六に「子曰わく、益者三友、損者三友、直(なお)きを友とし、誠を友とし、多聞を友とするは益なり。便辟(べんぺき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり」という文章がある。
意味は「孔子が仰った。交わって有益な友には三種類あり、損する友にも三種類ある。素直で正直な人を友とし、誠実な人を友とし、知識の豊かな人を友とするのが益である。体裁ぶる人を友とし、人ざわりがよくて誠実のない人を友とし、口先ばかりで調子の良い人を友とするは損だ。」というものだ。
集団が経済的にも自立し、有徳のある人材育成を同時に実践するには、石材の市場は実に適正な規模だ。
この市場規模と地域によって形が違ったりすることが、大資本が入ってきにくい条件となっている。

「仕事は万病に効く薬」を標榜する稲盛さんも「『利他行』をして、心を高め、経営を伸ばしなさい」とおっしゃられる。
われわれの学生時代は資本家が労働者を搾取しているというイデオロギー対立があったが、稲盛さんは働く人が生きがいを持つには「世のため、人のため、自分のため」という順番でド真剣に仕事をして、経営者はすべてをオープンにしたガラス張りのような経営をすることが大切だと確信をもって経営をされた。
経営が単なる利益を出すだけのものでなく、働く人が人格を磨く道場のように考えられ、自ら率先して垂範された。
カチンコチンの拝金主義でもなく、道徳主義でもなく、自ら中道を創造して、生きがいを感じる働き方だ。

私が小田切先生から学んだ思想は、髙村幸太郎の「僕の前に道はない。僕の後に道は出来る。」という詩にあるような創造的人生観だったに違いない。
まさに「天上天下唯我独尊」で、他人に甘える依存心から抜け出し、自分の足で歩けという応援の教えだった。

みなさんは「富国有徳」の志をいかが思われますか?

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