私が石材業界に飛び込んで会社を立ち上げてから46年が過ぎようとしている。
業界ランキングでは25位だ。しかし、これは売り上げでのランキングに過ぎない。
もちろん、事業をする者にとって、どれだけの生産をしたかは重要な指標に違いない。
石材需要にこたえる石屋として日々研鑽して、石材の基礎的な技術や生産体制を充実させて、建築の躯体や装飾、石積みやモニュメント・記念碑、供養のための墓石などに対応する卓越した技術がいる。
まだまだ未熟で上記のすべてに取り組めている訳でもなく、大きな工事が請け負えるかというと忍耐強く継続した努力の積み重ねがいる。
この課題はこれから石材業界を継いでいく人若い人へバトンタッチするが自らも研鑽しなければならない。
私がなりたいのは業界の技術一番でも売り上げ一番でもなく、「人間力ナンバーワン」の会社だ。
仕事は何のためにするのかを深く考えた時、生活の安定のため、家を持つため、車が欲しい、旅行に行きたいという生活を楽しみたいということもあるだろう。
しかし、人の役に立ちたい、生きがいを感じて感謝される仕事がしたいとポジティブに考える人もいる。
イーロン・リーヴ・マスクのように時代の寵児になりたいという大きな夢を持った人もいる。
石材の会社で神社の仕事やお墓の仕事も多くやっているからこそ感じることがある。
戦後、高度経済成長を遂げモノが豊かになってはきたが、一方で地域コミュニティーだった町内会や自治会のボランティアの人がいなくなり崩壊している。
また、住宅事情もだんだん良くなり、戦後は多くの人がウサギ小屋と言われた長屋に住んでいたが、今では立派なマンションや戸建て住宅を持てるようになった。しかし、家族が一緒にご飯を食べることも少なくなり、個人主義の時代だと言われている。
昔は、神社に行って七五三を祝い、お盆や彼岸にはお寺で住職の説教を聞くという風景があったが、今は少なくなっている。
そして最近は子供に迷惑をかけたくないという風潮があり、お墓そのものが息子に負担になると考える人が増えているが、墓は家族のコミュニティーであり、先祖と子孫を繋ぐ絆であり、自分のルーツを知る大事な碑(いしぶみ)です。
経済は成長主義で拡大再生産して物を豊かにしますが、心は滅びていっているのが実状ではないでしょうか。
都会に行くほど豊かな心が滅び、孤独感が漂い、具体的には独居老人の数は人口の三割になっている。
人間関係も表面的な関係が多く、リアルな友達がおらず、スマホが友達となって一日中手放さない。
こんな現実を見ていると、「感謝」と「謙虚」を取り戻し、「困った時はお互いさん」の気持ちで助け合う「人間力」が必要に感じる。
弊社では、8年前に出会った致知出版の雑誌を用いて社内木鶏会を実施している。
それは、社員同士で致知出版の記事を読んだ感想を述べ合う会なのだがルールがある。
「自己肯定」・「他者肯定」をして、「美点凝視」し相手の長所にスポット当て褒め合う。
気持ちが溶け合い、互いが心通じる会話になるのが実に感じられるし、他部署の社員の人柄も解る。
現実の資本主義は「競争と信用」と言われているが、「人間力」を高めるには「競争」の相手は他国でも他社でも他人でもなく、自分の未熟な部分が競争相手です。
自分の「徳」を磨き、人格を成長させるベクトルなんです。
「信用」は利他の心で自分の利己心を二番にして、「世のため、人のため、自分のため」という順番で物事を進めていくのです。
近江商人の「三方よし」の精神を根本にした判断の基準で事業を進めていくことで、結果的に「人間力」がつくのです。
綺麗ごとを言ってると思われるでしょうが、京セラの故稲盛和夫さんも『「利他行」しなさい、「心」をベースに経営をしなさい』と断言されています。
社員全員が心のきづなで結ばれ、お互いが信じあって働ける仲間となれるように努めていきます。
しかし、『「魔がさす」ことがあるのも人間の心の弱さです』ともおっしゃられ、『すべてにダブルチェックをして、「人間として罪を作らせない仕組み」を作ることが大事だ』とも言われている。
そのためには「経営をガラス張りにしてオープンにする」、また「情報の共有化も図り全員がお客さんの方を向いて仕事する」ことだ。
私も昔、どう経営するか分からなかった時に若手経営者の勉強会≪盛和塾≫をされていたので、そこで25年間学ばせて頂いたものです。
たしかに、「人間力」だけでは事業はうまくいきません。時代の要望に合った技術力や商品開発力など具体的なことも実現せねばならないことも事実です。
しかし、その根本は「心」を磨くこと、「人間力」を高めることと確信する次第です。
みなさんは競争や信用は外の世界のことと思いますか?自分の内の世界のことだと思いますか?