身体と心を自分のものにする

投稿日:2016年7月19日 更新日:

薬師寺の安田長老が病気見舞いに行く時、
お見舞いの言葉に困るとおっしゃっていたこと思い出した。

私はなぜだろうと疑問に思った。
長老は「病気は自業自得だからな」とおっしゃった。

病人からすると元気な人が見舞いに来て、
親切心で励ます意味で「すぐ直るから心配ないからがんばって」と言われる。
病人はさらに落ち込むらしい。

禅の達人の西村先生に聞くと見舞いのときは病人と同じようベットに横たわり、
「天井の白い板しか見えんな辛いな!」というだけだとおっしゃる。

いずれにしろ相手を気遣った行動をされようと言うことだ。
日常生活では起こりうることだし、誰もが何らかの対応をして暮らしている。

病気見舞いという社会生活上のことだが、元来は病気にならず健康でいる事が大事だ。
日頃は健康は当たり前で真剣に考えたことがない。

何時ものことだが、病気になったときは日頃の暴飲暴食や運動不足バランスのいい食事を、
一時的には実行しようとするが、三日坊主で続かないのが今までの繰り返しだ。

健康が「当たり前」ではないことを考えないといけない。

運動不足から筋肉痛で肩はこるは腰が痛くなる。
医者に行くと「加齢だね」で終わりだ。
同年代の人に聞いたら、みんなストレッチをやったり、散歩に時間を取ったり、
スポーツジムに通ってるというのである。

心を健全に養うと同時に自己実現は身体を動かし行動しないとできないので、
身体の健全を養なうことは重要なことだ。
心と身体の主人は自分でなければならないのに、
本能と利己心が多くの時に主人となってるようだ。、

病気になったり何か不都合なときにならないと、
心と身体の主人であることを忘れている。
実に情けない次第だ。

日本人は日常生活のことを「ケ」(けがれる)これは「気が枯れる」と言う意味だ。
そこで、気が枯れたらどうするかというと「祭り」をやって、
休養と滋養のある食べ物を食べ、元の健康に戻した。
だから「元気」というのである。
なんと江戸時代の祭りは少し参加するのもいれると、
年間に72~73回ぐらいあったと言う。
(現代の年間休日より少ないがみんなその時はいっせいに大義名分があり休だ。)

みんなでわいわいがやがや、だんじり、みこしを担いで「お祭り騒ぎ」
これが一番庶民の身体と心のリフレッシュだった。

皆さんは「お祭」に参加して心も身体も元気を取り戻し健康を楽しんでおっられますか?

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