10月27日6時56分に母は眠るように亡くなった。
94歳と11カ月だった。
戦前、戦中、戦後を生き抜いてきただけに勝気で気丈で陽気な人だったが、
自分の思い通りにならないと敵と見なし、容赦なく相手を攻撃するタイプでもあった。
私も白黒はっきりつけるところがあり、遺伝的に似てると感じることもある。
子供は親を理想的に見て批判し、親は子供を理想的に育てようとするのが一般的だ。
だから、子供の立場からすると親の良い面より悪い面のほうが意識しがちであり、
親もまた子供の悪い面を直そうと説教がましく言いがちである。
親子とは依存関係であると同時に相補関係でもある。
告別式で司会者が「これで出棺しますので最後の別れです」といわれたとき、
私の口から出たのは『有難う』だった。
批判する人が実在しないから私の脳裏から批判も消え、
育ててくれたことへの感謝に変わってでた言葉が『有難う』だったに違いない。
ノートルダム学園の理事長・渡辺和子先生は『許すことは相手に支配されないこと』とおっしゃってる。
怒りや憎しみは相手に支配されて起こる感情であるからだ。
自分の環境(家族やモノや他人や出来事)の奴隷になるから、
怒りや憎しみの感情に支配され自分の主体で無くなり、
相手が主体になっているのだとおっしゃる。
自分が主体で花咲かそうとするのが自分の人生だが、
良いことばかりではない。
自分に不都合なことは他人のせいにしたいのも人情だ。
現実は良いことも良くない事も起こるのも事実だ。
心をどう置くか考えると、先生は『心の置き所を変えること』
人生が順風のときは大きく活躍し花を咲かす主体に心を置き、
逆に逆風のときは下へ下へと根を伸ばすように自分の心の置き所を変えるとおっしゃる。
『許す』とはまわりの環境に支配された環境の奴隷でなく、
自分が環境を創造する主体であることだ。
禅では『随所に主なれば至る所真なり』と言う。
母が亡くなり思い浮かんだのは、
良寛さんの『裏を見せ表を見せて散るもみじ』、
本気で素直に子供や他人、家族に裏表を見せてぶつかった姿に重なった。
本気だからこそ激しい厳しさと、暖かい優しさの両面があった。
最後のメッセージは『許す心』である。
皆さんは環境を創造する主人になられていますか?