楽しむ心を創る。

投稿日:2014年6月1日 更新日:

目標や理想は自分を成長させるためにいる。
仮に100メートルを全力で走り15秒だったとする。
ボルトのように9秒台で走るためには走り方を研究し、
筋肉強化のためにトレーニング方法を考え実際にやる。

方法が決まれば毎日練習をして地区の対抗合戦や全国大会などの試合に挑む。
試合に勝つことが目的ではなく続けることの中に意味がある。
その根本的な意味は「楽しむこと」と言う心構えを創ることである。

三日坊主というのは何かをやり始めて三日でやめることを言う。
「楽しむ心」が湧いて来るまでに飽きてしまい継続する行動を断念することだ。

「楽しむ心」が人間に元々備わってるかと言うと、
自分を守ろうとする本能の壁(利己心)でふさがれている。

この壁を突破したものだけが楽しめるのである。

論語に「之を知るものは 之を好むものに如かず
    之を好むものは 之を楽しむものに如かず」

孔子がお弟子さんの中でもすばらしいと考えていたのは顔回だ。
論語の雍也第六に、
「子曰く、賢なるかな回や。
 一箪の食 一瓢の飲 陋巷に在り(ろうこうにあり)
 人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。
 賢なるかな回や」

意味=孔子が言うには顔回はなんと立派な人物だろう。
   一膳の飯と一椀の汁物しかない貧しい長屋暮らしをしておれば、
   たいていの人は其の苦しみに堪えられないものだが、
   回はそんな苦境にあっても楽しんで道を行って変わることがない。
   なんと立派な人物だな回は!!」

御釈迦さんも六年の難行を堪えれたのは『楽しむ心』があったに違いない。
逆から言うと「何のために生きるか」「どう生きれば楽しいか」という大疑問を、
解決したいと命がけで行動したからこそ堪えれらたとも言える。

道元もまた同じだ。
道元の疑問は「なぜ仏性があるのに人間が修行と言う努力をするか?」と考え、
中国の宗に渡り如浄禅師に出会い問答する。
禅師との問答で「身心脱落」を会得し禅を後世に伝えるべく、
只管打座に徹し「修証一等」を生きた人物である。

『楽しい心』を自ら創ったからこそ立派な人物であったのだ。
今の私は知らないものよりは知るものであり、
仕事や生きることが好きであるから知るものよりも好むもので一歩前進だが、
苦難にあっても心安んじて「楽しむ心」を創ったかと問われると、
苦難の大小によって心安んじない未熟者だ。

皆さんは楽しむ心創って仕事・人生を楽しでられますか?

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