ビジネス社会は競争社会だから、勝たねばならぬと思っていた時に、
書店で「孫子の兵法」と題したものをてにしたのは20代だ。
その時に印象に残った言葉は、
「彼を知り己を知らば百戦危うからずや」
事実を直視し、しっかり分析して対応策考えると百戦に勝てると金科玉条のように思い込んでいた。
しかし、分析が甘いのか対応作が貧弱なのか、
それとも戦いに挑む心構えができてないのか、
負けのほうが多く、怒りと腹立ちをエネルギーに苦しみと共に戦い生きてきたように感じる。
リーマンショック以後日本の生きる道はアメリカの経済学を学ぶことから、
日本の歴史を学ぶことの世のなかへ変化してきてるのを感じる。
「論語と算盤」の渋沢栄一さんの本が書店に並び、
「論語」をはじめ中国の諸子百家時代の儒学の本が積まれている。
大河ドラマでは黒田如水の名参謀を扱い、
日本の組織の役割と「義」の考え方に悩む姿を演じる。
日本は大陸から多くのものを学び自国流に加工し、日本的な文化を生み出した。
さて、今一度孫子を読んで見て気づいた箇所を紹介する。
「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」
戦わないで勝つ兵法を「不敗」という。
ビジネスは勝つか負けるかの世界だと思い込んでる私にとっては心が「ホッ」とする兵法だ。
こんな言葉がある。
「勝つべからざるは己に在るも、勝つべきは敵にある」
この意味は、
「不敗の体制を築けるかどうかは自軍の努力次第ですが、
勝てるかどうかは敵の体制いかんである」
如何に損害を少なく兵を大切にするかと言う哲学がはいってるのである。
まさに人を大事にする考えであると同時にスケールの大きく柔軟な兵法に感服した。
日本では義が通らなければ「切腹」する。
これは「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」と自ら死を覚悟して自刃することを良しとする考えである。
世界の安全保障が東洋を舞台に移ってきた現代、希望的な感覚かもしれないが、
古典に学び独自の考えの飛躍が期待される機運が高まって来てるように感じるのは私だけだろうか。
皆さんは孫子の兵法如何思いますか?