「義理の兄の死」に思うこと

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9月16日に、午前3時ごろ病院で息を引き取ったと夕方にメールが来た。
癌で闘病していて、放射線や薬の投与も受けていたが、全身に転移して点滴で延命されていた。
決して、病院にいることにぼやいたり、早く死を迎えたいということなく、簡易トイレを使って看護婦さんに抱きかかえられベッドに入った瞬間に力尽きて息を引き取ったと聞いた。
なんと潔い死だ。がんが大きくなり、のどを塞いでいると一か月前に転院したので見舞いに行ったときに言っていた。
人柄はつらそうな顔を見せない忍耐強い性格だった。
病院はコロナウイルス対策で面会の人数制限や病院内の移動制限など厳しく管理され自由度も少なかった。

コロナウイルスによって日常生活が大きく変化したことは確かだ。
初期当時に行われた外出自粛要請が大きく日常生活を変え自宅待機テレワーク、時差通勤などの実施がされた。
変化には三つある。
1.死を現実的に考える恐怖を覚え自己防衛での外出しない生活を余儀なくした。
2.社会の風潮はコロナ差別が起こり、エスカレートして自粛警察がコロナにかかった家をターゲットに攻撃するチラシなど作った。
3.ほんとに必要なモノあるいはコトを自分の判断で選択が迫られ、意味と価値を自問自答した。

ここで一番大事なのは死との向き合いであるが、感染拡大防止で葬儀式が簡素化され少人数になり、お墓は子供に迷惑かけたくないと「墓じまい」がどんどん増えている。
この現象は儀式の簡素化でなく「死」に対する恐怖心から起こっている現代人特有の心境の変化をもたらしている。
40.50年前は自宅でおじいちゃん、おばあちゃんがなくなりその現実を見せられた。
だからこそ、親戚や縁者、家族が亡くなった人をまるで生きていた時のように、思い出話をしてにぎやかに通夜を行う。
寂しがったらいけないから、夜通し線香絶やさず、誰かが付き添って死者を送るのである。
これは単なる儀式でなく、死の尊厳は生の尊厳でもある。
言い換えるとあの世から亡き人がしっかり生きてやと言っているからこそ、亡き人を寂しがらせないように弔うのである。

お釈迦さんは世の無常を説いておられる。
「世は泡沫と見よ 世は陽炎と見よ
そう世間を見る人を死王は見ることはない」
意味=世の中の物事は泡のように生まれては消え、移ろいやすく陽炎のように不確かなものだ。そのことに気づき、実感を得た時。生と死への執着がなくなり死ぬことの恐れや苦しみから解放される。
これだけの解説だと死からは解放されるが生きている生の解放が説明されていない。いつか死ぬが縁によって生きている私たちの生も死をしっかり見つめることによって、縁を生かすイキイキした生の解放を得るのである。死の尊厳は生の尊厳だ。
だが、お釈迦さんは諸法無我と続いておっしゃっている。それは自我という利己心から生きるのでなく、縁によって生きなさいということなのだ。
それには利他行に専念することで苦しみや悩みから生が解放されるというのである。

義理の兄の死のすがすがしさを思うと同時にコロナウイルスは無言で生と死を自問自答せよと問いかけている。
禅では「生死一如」と言い、白隠禅師は「坐禅和讃」で、
「いつか生死を離るべき、それ魔訶衍(まかえん)の禅定は 称嘆するに余りあり 布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等 其の品多き諸善行 皆この中に帰するなり 一座の功を成す人も 積みし無量の罪滅ぶ 悪趣何処に有りぬべき 浄土すなわち遠からず・・・」

実にいいですね。仏教は下手に読むと虚無的になるが白隠禅師はこの世が蓮華国になるというのである。
晩年は「南無地獄大菩薩」と書にしたためたのも、生かされている命の縁に生き利他行することでこの世が極楽になるというのである。

皆さんは「生死」離るべきで利他行やっておられますか?

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