「心を動かす」から感動する。

投稿日:2020年9月22日 更新日:

仕事通じて学ぶことがいっぱいある。
仕事を創造していくことが楽しい。
仕事を発展させることは同時に自己の成長に繋がるからだ。

成長には、人や社会に役立つ具体的な能力を身につけるために日進月歩する道具の研究をする必要がある。情報化社会の現代ならインターネットのIT技術を学び、スマートフォンの使い方をよく知ることだ。
もちろん基本的なベースとしては読み書き算盤ができること、それに歴史や文学、音楽と幅広く世界の文化を知ることはグローバルの時代には必須だ。

もう一つの側面は自分を知る事によって、心と頭と体の使い方を会得することだ。これを修得することを人間力という。
能力によって生産に役に立てば具体的に「得」してお金がもらえて生活ができるが、人間力という「徳」を身につけないと人間関係が成長発展しない。

自分を知る手掛かりはお釈迦さんの仏教が教えている人間の原理が簡単で解りやすい。とくに縁起(因縁生起)という教えが解りやすい。結論から書くと「善因善果」で利他行をすることが大切だ。人間の本性は利己心で「自分の身体や心がその他の愛する人やモノを我がものとしたい」と思うようにインプットされている。
その説明に「因縁果報」と説かれている。
「因」=直接の原因
「縁」=関節の原因
「果」=成果
「報」=関係性が長く報われる。
私たちが自分の利己心から物事を行動すると「悪因悪果」になりかねないし、わがままな自己中になるのは必然と論理的にわかる。
これを「因縁生起」と言って善い行動という原因をすれば素晴らしい縁に出会い、生成されて、現象が起こるというわけだ。(実にシンプルにプロセスが説明されている)
だから自分の事から原因を作るのでなく、他人や社会や自然のために行動するなら、良い結果になるのが当然と断言する。
頑張らなくても自然に変わるというのである。(諸行無常)

ところがこの根本の心持ちを善行に据えられなくて、みんな悩み苦しんでいるのが現状である。それは自分の体や心が他の愛するものを手に入れたいという原因を持つのが当たり前と思い込んでいるからだ。
ここに大疑問を持つことが肝要である。
心も体も頭も毎日じっとしていることはなく変化しているのが事実だ。(内的刺激と外的刺激を受けている)
昨日優しい心で過ごせたのに、他人から批判された縁を得て、今日は醜い自分にとらわれた心になる。そこまでいかなくてもグレーな心になるのである。
本来はこのように心が動くということが健全であり、そこにこそ学びがあるのだが、無意識に自分にこだわって一貫してない自分に苦しむのが凡夫の私たちだ。(理屈でなく利己心が働く)

身体は赤血球と白血球がバランスとっているように、「意」と「気」がせめぎあって成り立っているのだ。
だから、因と縁のバランスが狂うと善になったり悪になったリグレーになるのである。
通常は宇宙の法則のリズムを合わせるのだが、自分の「意」が先行して行き過ぎると「病は気から」と言うように病気になってしまう。

心がスイングして動いていることを楽しもう。日々新たに感動すること間違いなし。

皆さんの心、動いていますか?

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