「明暗双双」

投稿日:2021年7月4日 更新日:

禅の言葉で「明」は昼の事で差別のある世界を意味し、「暗」は夜のことで平等の絶対世界、すなわち「空」を意味する。
私たちは、自分を真ん中に据えて、自分より背が高いとか、自分より才能があるとか相対化して分別する。
誰でも、それが正しい見方だと思い、また事実他と比べての自分を自分だと思い込んでいる。

禅では生まれて他人と比べて名前がつくまでの自分の事を「本来の面目」という。
「命」ということになる。
この命は自分で磨けば磨くほど具体的に色んなことが出来るようにできている。

道元が坐禅して悟った時に発した言葉は「眼横鼻直(がんのうびちょく)」だった。
禅の言葉で「教外別伝不立文字(きょうげべつでんふりゅうもんじ)」という言葉がある。事実を概念化しない「ありのまま」だけが如実だという。

人間は「考える葦」と言ったのはパスカルだったが、事実のありのままを概念化するのが思考だ。
外に何かを求めるから科学が発達して物質文明が出来たのは事実だ。
世界はこれ以上、外の自然に求めると地球が再生できなくなると考え、持続可能な社会を構築する17目標(SDGs)を作り出した。
(詳しくはまた別の機会に)

ところが、自分の心の豊かさをますます物質化した現代人は惻隠の情もない人間になってしまったように思う。

思考することが悪いと言っているのではない。
「思考」の癖を知る必要がある。
人間の思考は主観的で客観化できない癖、好きなものに「執着」する癖があり、
自分の見方を如実(ありのまま)と思い込む偏見があり、何事も自分と比べる「分別心」があり、事実何もないのに「妄想」する被害者妄想による恐怖心や、
誇大妄想という「夢」のような、ありもしないことを創造する癖がある。

禅では「両忘」と言って右や左という相対化することをやめるために、「非思量」といって何も考えないで息を整え、身体・心を整えることを修行する。
2500年前に既にSNSが盛んになり人間の心がバラバラになる時代が来ることを知っていたように、坐禅という身心を統合する術が生み出されていた。

皆さんは分別知によって迷いや悩みつくっていませんか?

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