コロナ禍の政府対応については賛否両論あるのが普通だが、無意識に政府の手の打ち方、補助金の支払いの遅さが国民を苦しめているという論調がある。
私は政府の味方でも何でもない。
国民の言論の自由が悪いとも思わないが、国民には良識がいる。
コロナ禍では、公の平等を行政する政府と自分の安全安心を守りたい国民は良識があってこそ対等だ。
多くの国民はマスコミの報道を見聞きして情報を得ているのだが、日本のマスコミはテレビにしても横並びの報道なので、是々非々が判断しにくく、報道の論調の多い方を信じざるを得ないのも事実だ。
国民の側は細かい政府の動きについて情報を知っているわけではないからだ。
マスコミの批判眼は恐怖政治にならないような監視の役割もあることは理解する。
自由と平等が旗印の民主主義は絶対に正しい制度かと考えた時、イギリスの元首相チャーチルの言葉を思い出す。
現代において考え出された民主主義が絶対だとは思わないが、今のところ多数決が公正に近いという判断だ。
だからと言って、イデオロギー論争の様に資本家と労働者との1960年代の労働争議に凝り固まったものも現代にはもう古い。
政治が大衆迎合と言われるようになってきている傾向はあまり成長発展しないように感じる。
いつも弱いモノの味方を標榜すれば選挙で勝つという流れが出来ているし、国民も目先の利益を喜ぶ傾向になっているように感じるのは私だけだろうか?
働き方改革の本当の意味は、「ワークライフインテグレーション」、仕事と生活を統合するということだ。
決して、仕事は仕事で、生活のため、自分は自分のために時間を使うといったように割り切るのでなく、仕事も私生活も人生の一つとして統合されて人間が分裂病化しないように自己形成することだ。
具体的には、時短とか、生産性向上のためのIT化、品質向上の取り組みの仕組みの改善などをしなければならない。
唯物論は人間の外の世界の法則を探し科学技術を発展させたが、人間の内なる人としての意味や価値観を社会とともに相対化させることでなく統合することが今求められている。
戦後の世界を牽引してきたのはアメリカで、我々日本人はその豊かな生活を求め、モノづくりに励んできた。アメリカという目標があった。
しかし現代は経済的にも軍備的にも中国が台頭する時代となり、ただ豊かな生活を享受するだけでなく、豊かな心を統合してこそ新しい時代を生きる人間像に求められる。
日本には武道、茶道、書道と言った『道』の文化がある。
科学も必要だが人間道という文化を養うことが重要だ。
古典に学び自らの行動習慣を見直し、「正解」のない創造的な道を自ら切り開いていく時代だ。
今、NHKで渋沢栄一の「論語と算盤」ということをテーマに大河ドラマが放映されているように、求められるのは「科学」と「人間道」のハイブリットだと確信するが、今こそ日本流に「正解」を創造するダイナミックスな時代でもある。
私たちは経営理念として「三方良し」「利他行一番」「もったいない精神」を大切にしている。
自由主義は格差が広がり、社会主義・共産主義は専制的になり互いが正義を主張し合い闘っている。
実は昔から言う「中道」「中庸」という飛躍した誰にも分からない「正解」を創造しコロナ禍を乗り越えることこそが現代だ。
皆さんは「正解」を創造する時代いかが思いますか?