近代文明は物の豊かさを実現してくれました。
人間には肉体と精神がありますが、どちらも大事です。
世界では貧困で栄養失調になる人が人口の3分の1いるというのが現実です。
この課題を解決することも重要な課題ですが、先進国は何を目指して国家を形成していくのかを考えると、「心を高めること」だと思います。
言い換えると、物質を豊かにする技術と同時に自分の心を良識ある心へ高め、利己心という自己中心的な価値を転換して、利他的な価値へと目覚めていく国家や人材を創造することだ。
例えば、日本は温暖なモンスーン気候で雨が多く、河川も多い。
だから、江戸時代には河川の氾濫により治水工事があちこちで行われていた。
バイパスの河川を造ったり、あるいは堤防の向きや高さを考えたりすることで解決していくが、もう少し俯瞰して考えると、そこを流れる水の質が肥沃で澄んだ水が理想的で良い。
質の良い水は田畑を潤わせ、作物を育むので、人々は生活ができるのである。
堤防と水の両方が満たせて、初めて治水工事が完成する。
人間の身体と心に例えるなら、「肉体」=「堤防」だ。
筋肉質で強くて柔軟な脂肪の少ない肉体が一番良い。行動能力が高い。
そして、「心」=「水」だ。
心は目に見えないが、主観的な好き嫌いや損得で判断する価値観は自己中心の狭い心なので、肥沃で栄養分がいっぱいで純粋で良識的で温かく利他的行動を優先する広い心が良い。
こんな堤防と水だとしたら、必ず発展成長することは間違いなしだ。
ところが現実は、堤防をどう造るかの議論はして、具体的に実行もされるが、誰も水のことを議論しないのである。
水は上流に木が生い茂り、いっぱいのミネラルを含んだもので、アユや川魚が楽しそうに住んでいる状態が良い。
この水を造るには環境がいる。心で言えば精神的価値観を養える環境があるかどうかで決まる。
心に一番影響受けるのは両親だろう。
しかし20歳過ぎれば自分で友を選び、師を求めて、自分の心の価値を創っていくことだ。
でも一人で創るのは大変だから、読書をしたり、仲間や師、体験などを求めることで学ぶことだ。
私は20歳の時に出会った恩師から「君は鬼の面はあるが精神の柱が出来ていない」と言われ、我武者羅な行動力は評価されたが、人間として目指す価値観が出来ていなかった。
要するに、人格を高める方向性を持っていなかった。
ただ手に技を付ければ生活の糧が出来るという考えだけだった。
率直に言って、その時私は恩師の言葉に対して「浮世離れした理想論を言っているな」と感じたが、なぜか自分の心は空虚だった。
その後、恩師に食らいついて二十数年学ばせてもらった。
今日の自分があるのは恩師の導きのおかげだと感謝している。
皆さんは心高めていますか?