大阪石材社長ブログ

「感性について」

投稿日:2022年2月15日 更新日:

感性論哲学を標榜するのは芳村思風さんだ。
感性とは理性を超えたものだと言う。
受け身で消極的な感受性ではなく、求感性(ぐかんせい)と言う積極的な感性だと言う。
感性論哲学とは違いを受け入れる哲学だとも言うのである。

さて、石原慎太郎さんは『エゴの力』という本の中で、「個性とは自己中心的なエゴイズムでなく、感性の違いに他ならない」と述べていた。
大脳生理学的に人間の脳の中の脳幹によるものだと言うのである。

脳幹は寒い時に体が震える、暑い時には暑さに耐えながら汗を流すという体温調節などの生命維持に関わる働きをする。
また、何か良い出来事があればそれを喜ぶ、不幸なことに遭遇すると悲しむといった人間が生きていくために欠かすことのできない五感を含めた色々な感情というものを育む源だという。

例えば恋愛もそうですし、厄介な物事を何とか頑張って達成した時に感じる満足感や達成感、あるいは喜び、あるいは自信、自負と言ったものも脳幹で育まれる訳で、私たちの感性は実にそれぞれ違った形で発露するけれども、その「感性」の違いこそが人間の尊さの表象に他ならない個性だと言う。

仏教に「自利利他」と言う諭しがあるが「自他不二」とも言える。
自利は利他と同時に存在するというのだ。
個性(自分)は非個性(他人)と同時に存在する。
個性を突き抜けた時100%受け入れる非個性が存在感を表す。

それは光に当たった人間とその影が同時に目に入ってくるのと同じだ。
感性とは感情を育む元だが、外に向かう求感性となると同時に感受性も内包している。
だが積極的に命が生きるのは求感性であり、消極的で保守的に生きるのが感受性だ。

感性をベースにして理性を使って、手段を考え、判断・行動して、命の生きる道を創造する。
植物や動物には死の観念はないが、人間は生きたいと思うと同時に死にたくないという観念を抱き、迷い、悩むように出来ているようだ。
自立、自覚、自主とはその悩みや迷いから解放されることだ。
それは死の観念を自分の潜在意識から追い出すことだ。
命ある限り生きることのみ思考することが絶対積極意識だ。
一般的には、逆に理性をベースに感情的な人生を過ごすことになる。
理性は自分の主人ではないことに気づかずに!

皆さんは感性をベースに理性で手段を考えていますか?

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