大阪石材社長ブログ

「事実を100%受け入れる」(善悪無記)

投稿日:2022年2月20日 更新日:

コロナウイルスのオミクロン株が感染拡大して、今は普段のようには生活できませんが、今しかできない方法や手段もあるでしょう。
無い知恵絞って考えるのですが、そう簡単にはアイデアも出ないものです。
しかし、自分が普段考えることの逆のことをすることが一つの方法を生みます。
2年前のコロナ発生時にはみんなが慎重になっていました。
お客さんのところに訪問することも出来ませんでしたので、こちらの仕事目的ではなくコロナ見舞いなら訪問できると考え、当時はマスクが不足していたので3枚ずつ包んだものをお持ちして「お見舞い訪問」させて頂きました。

訪問させて頂き、怒られたことはありません。感謝されました。
事実を100%受け入れて逆をやるとアイデアが出てくるのですが、課題は自分にとって都合が良い時と、自分にとって都合が悪い時があり、私たちは無意識に都合の良い方を選択しています。
時にはどっちがいいか悩んで立ち止まるのが凡人の私たちです。(悩むことが仕事になります)

そこで、100%受け入れるには自分の「気」(こころ)の持ち方を正さなければなりません。
どう正すかというと、「自分が都合のいい状況でも結構」、また「自分が都合の悪い状況も結構」という判断を自分に言い聞かすことです。

仏教ではこれを「無分別知(むふんべつち)」と諭しています。
私たちは光と影の相対的な世界に住んでいます。
だから、何でも善悪、損得、好き嫌いで分別、判断、決断しているんですね。
もちろん自分が得するように、無意識に利己心で考える癖もついています。
だから、1番目(利己心)に浮かんだ判断基準を捨てて、2番目(利他心)に浮かぶ相手が喜ぶかどうかという判断基準にすることが「無分別知」になるのです。

仏教語に「善悪無記」といって、「何事にも善悪と相対化して決めつけず、一如として事実を絶対化して捉える」という意味の言葉があります。
言い換えると、事実は一つであると100%受け入れる「気」(心)をしっかり創ることであり、現実と自分と向き合う方法です。
この姿勢さえできれば誰でも利他行ができ、事実をより良くすることができ、発展・成長することは間違いなしですね。

皆さんはモノの見方の姿勢、事実100%受け入られていますか?

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