論語には「君子」「小人」という対比が出てくる。
「小人」とは「普通の人」、我々凡人のことで、「君子」とは「立派な人」というように訳されることが多い。
我々は「君子」と言われるような人は元々から天賦の才能があって普通の人ではないと思いがちだが、それであったら誰も君子にはなろうとしない。
普通の人が自ら努力して立派になっていくから楽しいし、プロセスを学びたくなるし、自分ならどうするか考える。
中国の明代末に陸紹珩が書いた『酔古堂剣掃』の中に「君子は三惜あり」という文章があり、君子には惜しいことが三つあると言う。その三つを次のように記している。
「この生を学ばず一に惜しむべきなり、この日の間過す、二つに惜しむべきなり、この身一敗、三に惜しむべきなり」
意味=「せっかく人間として生まれてきたのに、どう生きるか学ぼうとしないことが一つ目に惜しむべきことだ。二つ目は毎日をだらだら過ごしてしまうこと、三つ目は自分の人生を自分で失敗に持って行ってしまうことだ。」
これは言い換えると「自分とは何か」と問うことから始める努力家のことだ。
さらに、道元は『現成公案』の中で、「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」という言葉を残している。
意味は「自己に問い、本来の自分を見付けよというので、それをするには現実の自意識的自我といって、さらに自意識的自我は身体と心を意識化しているので、素の身心を束縛から解放(脱落)すると、自分と自分以外のすべて、宇宙全体が一対であるという意識に目覚める」というのである。
また、小説家の井上靖氏は「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」とこう言っていますね。
君子は自ら努力する人のことで、未来を明るく導いてくれる人ということだ。
みなさんは君子ってどう思っていますか?