王陽明の陽明学は朱子学「性即理」の体系を批判して生まれ、当時はあまり流行らなかったが、幕末頃になって、徳川家の朱子学をベースとした水戸学に批判的な長州藩や薩摩藩の下級武士は、吉田松陰門下で王陽明の「心即理」を学び、欧州の列強に日本は奴隷化されると思い立ち上がった。
その後の歴史的なことは後日書くとして、今回は陽明学が朱子学とどう違うかについて詳しく書きたい。
朱子学は宋学とも言われ、朱熹がまとめたものであり、心を性(仁、義、礼、智、信、といい五常持つのが人間の本性)と、情(感情・欲望)とに分け、性すなわち理(宇宙の根本)であると考え「性即理」とし、それに沿った生き方によって聖人となることを考えたが、王陽明はそれを主知主義、観念的と批判し、人間の心は性と理が混然と一体となったものであり、その心こそが宇宙の真理と一体であると主張し、その考えを「心即理」と言い表した。
朱子学の中心的な「格物致知」に対しても全く違った見解を展開する。大学の言う「格物」の格は「至る」と読むのでなく、「正す」と読むべきであり、「物」とは事に止まらず、「意のあるところ」である。そして「致知」の「知」は外縁的な知識を増やすことでなく、「良知」の事であると解釈した。つまり「心の不正をただし。良知を実現すること」このように考えれば、「知」(学ぶこと)は行うことであり、全く一体のものと主張し「知行合一」の考えである。
さらに「良知」の理解は「万物一体にして生々やむべからざる」という宇宙の根源への探究に向かう。
この思想を受けて天満の与力だった大塩平八郎を起こす原動力になる。
大塩は自分の家財を売って600両を町民にまいたのだ。
さて、陽明は自分の心をしっかりコントロールしろと心を調節する五つの心について語っている。
1.心が騒がしくなると動作まで騒がしくなる
2.心がだらしなくなると見るものも浮ついてくる(人間は心に持ってるモノしか目に入らない)
3.心に飽き足らないものがあると気力が散ってしまう(不平不満がある)
4.心が留守になると顔も形も締まりがなくなる
5.心に奢るところがあると顔色も驕り高ぶる
自分の心と体は自分がコントロールすることで、人間が自分を創っていくのである。
そこには先人たちが何を主軸にするかという哲学が語られている。
社会を唯物論的に表現すると生産力が革新したから、それに適応するものの見方や心の在り方ができたというだろう。
しかし、一方未来を思う心が生産力を上げる良いきっかけになったとも言えないだろうか?
みなさんは王陽明の心の調節、現代に最も必要と感じませんでしょうか?