突然メッセンジャーに立花先生の娘さんから7月4日に77歳で亡くなり、今日がお通夜ですというメッセージが入った。
6年前に脳梗塞で半身不随となって、自宅でリハビリをされていて時々電話を下さり、いつものように長話になって、現在の貪欲文明を宇宙の理にかなった精神文明に転換を日本から発信し、世界が「和」を持て平和な時代にしていこうと熱の入った語り口調で話されていたのが懐かしく思った次第だ。
出会ったのは平成の10年が過ぎたころだったと思うが、経営者の学びの会として「遊学の会」を行っていて、その講師として2か月に一度、ジャンルは構わず日蓮や白隠をはじめ洋の東西を問わず公演いただいた。
大阪の茨城に「まだま村」という縄文式竪穴住居を、セミナーや講演会などをする憩いの場所として平成元年に創建されていた。
まだまの意味=「ま」とは磨くの「ま」で、「だま」とは魂の「だま」ということから、魂を磨く道場にと考えられた。
まさに文明維新を起こそうとする伝道師のような教えを説かれていた。
通夜は6時からしめやかに執り行われ、香典返しの中に一冊の小冊子が入っていた。
その冊子には以下のような文章があった。
「人類救済で常に引き合いに出されるのは、これまではキリストの愛、釈迦の慈悲、孔子の仁であった。確かにこれらは「地球の理」であり、「人間の理」であって、不滅の人類法には違いないが、現代文明の怒涛の圧力の下では、残念なことに、その機能は徐々に失いつつある。
少し唐突に聞こえるかもしれないが、聖徳太子の説いた「和」は、私の直感だが、きっと「天啓」だったに違いない。「天啓」とは天の声つまり、「天の理」であるから、人類法を超えた宇宙法ということになる。」
その代表として聖徳太子の「十七条の憲法」を書き記し、もう一人は吉田松陰の「松陰語録」が、書かれている。
松村文祥を送る序には、
「道の精なると精ならざると、業の成ると成らざるとは、志の立たざるに在るのみ。
士たる者は其の志を立てざるべからず。夫れ志の在る所、気も亦従う。
志気の在る所、遠くして至るべからざるなく、難くして為すべからざるものなし。」
大事なのは勇気と覚悟それに行動力だといわんとする気迫を感じざるを得ない文章だ。
まさに、中国の宋の時代の宰相が元軍と戦って敗れて獄中で作った古詩「正気の歌」
「節を曲げず忠義を貫く心をうたったもの、江戸末期に藤田東湖が尊王の心を歌い士気を高めたものだ」
松陰は投獄されていたが、まさに心は一意専心の思いであったのであろう。
それが幕末の志士の勇気となったことは事実であろう。
この二人の人物に立花先生は自分を重ねて、人材育成の役割をはたしてこられていたに違いない。
なくてはならない人物がまた一人なくなったと思うが、実践に向けて行動へ切り替えすることが供養だと思う。
皆さんはお通夜にどんなこと考えられますか?
「立花之則さんの通夜に行った7月6日」に思ったこと
投稿日: