大阪石材社長ブログ

「資本主義社会から人間主義の社会へ」

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人類は約3000年前頃から意識することに目覚める。
2500年前に中東地域に一神教のユダヤ教が誕生、2000年前にはキリストが死んでキリスト教ができた。そして、2500年前のインドではブッダが誕生し仏教ができ、中国では孔子・孟子が活躍し儒教が盛んになる。
これは意識の在り方で人間が人間になることを説いたものである。

人という動物的なものでなく、生産力を上げるためにも仲間で協力し合い社会を形成した。
その社会を維持するために意識の在り方が自然に生まれたのであろう。
人は食べなければ肉体を維持できないので狩猟採取をし始め、定住し、みんなで食べ物を栽培することに気づいた。そして、次は保存することにも気づいたし、もっとたくさん食べ物を確保することが生きることだったに違いない。
現代の資本主義的には「豊」とは貨幣を多く持っていることを意味する。

人間の歴史的な生い立ちを想像すると以上のようになるが、人間の意識には2つある。
人間は物理的には身体と精神的な心から成り立っている。
身体的意識(身体)と価値意識(心)とも言える。
身体は五感からの情報で反応するが、価値は真善美、友情、愛情、理念、宗教と言った深い意識になる。
身体的な意識は利己的な判断基準でいいが、価値は違う。
利他的な思いやりと言った善行や深い真実性や美の意識が関わるからこそ人でなく人間なのだ。

言い換えると、自然の法則は人間の土台で、次は社会法則に生き、その次に人間意識が形成される。
この順番に発展してきたのが事実だが、一番最後にできた人間の意識が支配的になるのが現実だ。
マルクスの名言「地球は意識によってできている」という言葉からも唯物論的には意識が物を支配するということが分かる。
AIの時代となってきた現代、人間意識の記憶や法則性はAIに負けるが、人間の価値意識と思考力は負けないと察する。
それには価値意識を錬磨し、世界認識や時代認識を深める努力がいる。

仏陀が横になって今にも死なん時に弟子のアーナンダが「師が亡くなられた後、私たちはどうしたらいいのか?」と質問し、仏陀は「自灯明 法灯明」と答えたという。「自分を頼り(自灯明)にして、仏陀が数々説いた法(法灯明)を光として生きよ」という意味である。
要するに依頼心を持つな、事実を100%受け入れ、智慧で解決して行動しろということだ。
何よりも生きることは体験して課題を解決する智慧を出し行動することだというのである。

みなさんはマルクスが予言したように高度に発展した資本、社会主義から共産主義になるかは今の世界を見てどう感じますか?
人間主義社会とは貨幣の多い少ないでなく、自らを高め、幸福感のある価値を創造する社会のことだと察する。

みなさんは資本主義社会の次はどんな社会が来ると思われますか?

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