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「宗教について」

投稿日:2023年10月22日 更新日:

ホメロスのギリシャ神話(BC8世紀頃)を読むと、人間には意識がなく、あらゆる動作に神が出てきて操るのである。
人間の中に神が入ってくるというより、神が人間を操っていると言ったほうがいい。

3000年前ぐらいから人類は自分を意識するようになり、2500年前には具体的に世界に宗教という形で、古代イスラエルで発祥した唯一神「ヤハウェ」を信じ、ユダヤ人は神から選ばれたと信じ、救世主(メシア)の到来を信じる。また、インドでは釈迦が出現し仏教が生まれ、中国では諸子百家の儒教が生まれるのである。

ヤハウェはイスラム教の元でもあり、キリスト出現では新約聖書の元でもある。
イスラム教とはヤハウェであり、言うなればこの三つは兄弟のようなものだ。
特徴は完璧なヤハウェを外に置き人間が原罪を背負って契約関係にあるという信仰だ。

仏教圏の東南アジアは小乗仏教で、自力本願で自ら悟りを目標に修行し解脱する自分の中の仏と向き合う。(一人悟るだけ)
日本に伝わったのは大乗仏教で、共に学び合い解脱しようとする他力本願の立場に立つが、鎌倉時代に法華経を軸に南無妙法蓮華経を唱える日蓮や阿弥陀経を軸に南無阿弥陀仏を唱える法然や親鸞が現れる。その他にも禅宗のようなのも現れ、特に江戸時代に盛んになったのだが有名なのは白隠禅師だ。
特徴は自分の中の仏を出すことに修行の意味があり、衆生とともに解脱するというものだ。
西洋の神とは全く逆だ。

さて、儒教はというと、中国には多民族が住み、文化が違っていたので、現実的な生き方や国家の統治の在り方などを深める孔子・孟子の儒学を基本に、老荘といった無為自然を基本とする達観した考え、荀子に影響受けた韓非子などは性悪説で人間は元来悪人だというところから解きほぐす。
特徴は現実的な対処の基本スタンスを重んじ、家族や姻戚は信じるが、生き抜くためには「信じて信ぜず」のような処世観である。

日本の場合、古来は自然崇拝のアニミズム的なところがあり、何でも神にしてきた。538年頃に伝来した仏教も一緒にして、神も仏も敬い、自分の中の神・仏を引き出すのが日々の修行と考える文化をつくってきた。(昔から家には神棚も仏壇もあった)
だから日本には西洋でいう象徴的な宗教がないと言われるが、明治時代に新渡戸稲造は「武士道」という道徳規範が日本の宗教に変わるものだと世界に発信した。
それから、日本は近代化を急ぐあまりに欧米と同じように廃仏毀釈して天皇を「神」として富国強兵を旗印に他国を攻め入り植民地化していった。

現代までアジアでは日本が悪いと叩かれているのが現状で、敗戦とともに戦前の修身教育も廃止になり、みんな平等の自由民主主義を余儀なくされていて、江戸時代や明治時代に合った道徳観が喪失していることを憂う。
新渡戸は「武士道」の中で誠・忠義、切腹や仇討の意味まで書き、日本人の宗教にしていると言いたかったのだ。
アメリカのルーズベルト大統領は武士道を深く学んだという。
欧米人の軍人は契約だから命は投げ出さない。
ところが、日本人は自分で切腹するまで命がけでやる行動力があることに恐れも感じたに違いない。
この潔い日本文化を思う時、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」の句が思い出される。

世界の地政学的な位置と気候によって宗教は様々な形となっているのが現実だ。
グローバル化し情報化によりバーチャルな世界も展開する現代から想像する宗教も宇宙教という概念が生まれるときが来るかもしれない。

みなさんは宗教についていかが思われていますか?

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