久しぶりに滋賀の興福寺の西村 恵信(ニシムラ エシン)先生(元花園大学学長)を訪ねた。
北海道からの来客があるということだったが、直前の時間が空いてお会いすることが出来た。
好物の焼酎と酒、それに奈良の工場直売の高山のおかきを持参したら大変喜ばれて、「これさえ置いて帰ったら君たちはいいよ」といつもの冗談交じりの会話が始まった。
90才になられるそうだが元気いっぱいで変わらない様子だった。
その時に、コロナで数年訪問してなかった間に出版されたという「禅心の光芒」という著書を頂いた。祖師の語録を集めたもので、「禅心のハタラキとは ナニモノにもとらわれない自由闊達さ」と帯に書いてあった。
そして、ちょうど昨日書いた色紙があるとそれもくださった。
色紙いっぱいに円相が書かれていて、禅語の「清風明月を払う 明月清風を払う」という文章が書いてあるものだ。秋の夜分、明月と秋風は互いに主となり客となり、どちらが主体ということもないという状態を表した文章である。
これは月と風が一体となって決して対立するのではなく、善悪、成功か失敗という二元論でもなく、相手の中に自分を生かしていくという意味なのですね。言い換えると、「一元の自分」、これに似た表現の禅語に「自他不二」という言葉もあります。
私たちは相対二元の世界に生きていて、現実を好き嫌いに分けて無意識に見ているから二元になる。
現実を100%受け入れたら、清風と月は調和が取れていてどちらも引き立っていることが分かる。
そこから相手を生かしながら自分の居場所を作っていく、自分らしく生かしながら相手を生かす。
こんな含蓄のある言葉に心揺さぶられました。
ほんとに自分って自由で自在なはずなんですが、自我によってひずんでるのが凡人の私たちなんですよね。
みなさんは禅語で心揺さぶられたことはありますか?