大阪石材社長ブログ

「道徳と経済」両方磨くのが日本の生き方

投稿日:2024年4月5日 更新日:

経済学の学びの入り口に出てくるのはアダム・スミスの『国富論』だ。
この著書の中で「分業論」、分業の重要性について語っており、当時の重商主義を批判し、市場主義を主張した。人間が生きていくには食べ物がいるので、商業だけを発展させても意味がないと、農業主義を主張。人間が働いて多くモノつくるには一人一人役割決めて協力して作くれば成果は多くなる。
人間の労働が経済の基本という、労働価値説の立場に立っていた。
(さらにマルクスがこの基本に立って『資本論』を書く)

しかし、スミスはこんな学術的なことだけが言いたいのではない。
「市場の経済は市場に任せる方が発展するので出来るだけ国が関与しない方が良いと言っても、誰かが嘘をつけば市場はうまく発展しないので、人間としての道徳倫理が大事だ」ということも、国富論の前に出版した『道徳感情論』で主張している。
一言で言うと、徹底して儲けたいと利己心追求し過ぎると反社会的行為を生むことになるということだ。さらに解りやすく言えば、盗賊の市場参加もOKしてしまうと、不良品が横行したり、約束の支払いをしなかったりして、市場経済は破壊され、誰も信用しなくなるし、過剰労働で人を苦しめて社会は成り立たなくなる。
なので、スミスは利己心を野放図に放置するのでなく、平和共存するには道徳と倫理(抑制する利他心)がいると言っているのだ。市場で原則等価交換されることで売り手も買い手も納得するには、市場では利他心を前提にしないとだめだ。

今の資本主義社会には3つの事が重要だ。
1.市場は自由放任型に任せる。
2.そのため政府が小さな政府となり市場への介入を極力避ける。
3.市場の参加者は市場の秩序を守るために道徳・倫理(利他心)が必要

明治時代、日本で近代国家を創るにあたって、これを実現させたのは「論語と算盤」の著者、渋沢栄一だ。
渋沢栄一は「企業性善説」に立っていて、相手を騙し利益を得たり他人の不幸に付け込み不道徳不正を駆使して利益を上げようとする「儲かれば良い利己心」で商いをする人がいることでは市場経済が機能不全なると考えた。
円滑な市場には、近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の精神が大切で、まさに市場参加者の人格が問われる。
平安時代中期に「和魂漢才」と言っていたように、明治時代には「和魂洋才」が流行っており、渋沢栄一はそれになぞらえて「士魂商才」を提唱した。

江戸時代、武士は朱子学(性即理)を学んだが、道徳のための道徳教育で空理空論で経済観念がなく、商売を蔑んでいた。「武士は食わねど高楊枝」と言ったように、生活が苦しくても痩せ我慢せざるを得なかったのが武家社会だった。
女性に対しても「女は三界に家無し」と言った差別も現前とあった。
大阪では享保9年(1724年)に中井甃庵(なかい しゅうあん)が大阪商人の道明寺吉左衛門、鴻池又四郎らとともに学問所、懐徳堂を創設。庶民・武士共学の自由な学風で中井竹山の時代には江戸の昌平坂学問所をしのぐ勢いだった。
また、当時同年代だった新渡戸稲造は日本の伝統的道徳原理を武士道を取り上げた。武士道は仏教、儒教、神道の影響で形成され、名誉を重んじ、勇気・礼・惻隠の情などを体現する日本人の生き方として紹介し、外国の要人たちに向けて英文で著書も出版された。
この日本人の生き方は、江戸末期に400か村を立て直した二宮尊徳が実践し、「道徳なき経済は罪悪、経済なき道徳はたわごと」と言い切って、農家の新田開発の基本農民の心田を開発することから取り掛かったという。

みなさんは世界に問える日本の生き方いかが思いますか?

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