安岡正篤に学んだこと、その根本は「知行合一」である。
知識や理論は大事だが、それだけだと「牛の尻」だ。
単なる物知りという意味のダジャレだが、ある禅師の言葉だ。
体験すること以外に学びはない。
しかし、若い時は何を学び自分の精神の柱をつくれば良いのか分からなかった。
「若い時に人格の根本を築く学問をしっかりやる。それで人物ができる。この人格の根幹的完成を本学と言って、まず25才まで続ける。それからは惰力で30~40才まで行く」と安岡さんが断言する。
しかし、今、学校で学ぶのは四書五経と言った人格形成する本学はなく、専ら生きていくための知識と技能を身に着ける事務学だけなのだ。
私を導いてくださった恩師小田切先生と出会ったのは24才ぐらいの時だ。
私を見た先生から「君には精神の柱がない」という言葉の一撃くらって、先生の独自の「潜態論」を学ぶことにした。
もちろん毎日学問に没頭することはできないが、月に一回二時間の講義を聞くことから始まった。
佐藤一斎の言四晩録にある「少にして学べば壮にして為すなり。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず。」という、こんな言葉を読み、現実の課題も解決しながら、少しずつ本を読むようにもなった。
現実は生活するために仕事をしなければならず、本など読む時間もなかったというより、人格を磨く言葉など全く頭の中に入ってない私の脳は言葉が理解できないので拒否し、すぐ眠くなった。
そこで、友人からの勧めで、安岡先生の弟子の村下好伴先生の「論語を楽しむ会」へ参加し学ぶことにした。
40才を過ぎていたと思う。20代後半から40才頃までは事業を立ち上げ、夜も昼もなく働らかざるを得なかったのが事実だ。
恩師には私の学びがなかなか深くならないので、梅田の喫茶店に呼ばれて「君は資本の奴隷になったのか」と言われ、拝金主義者のように叱られたのを昨日のように覚えている。
先生はそれから数年後に亡くなられたので、自分で切り拓いて行かなくてはいけなくなった。45才ぐらいになっていたと思う。
そこで、まずは先生の書かれた本を読み直したが、理論物理学者だった先生の言葉は難しくなかなか深い意味が解らなかった。
その後、少しずつ四書五経を読むようになり、安岡正篤師の陽明学を読むようになっていった。
そこには言行一致の精神が貫かれていた。
出来ていない自分に少しでもいいから成長、進化していればいいと言い聞かせて行動に転嫁するようにして言い聞かせていた。
人間は本来弱い生き物だと思う。易きに流れるものだ。
継続は力というように続けることが大事で、習慣化されると苦痛ではなくなるように、今も未来に向って一歩ずつを信念として行動を怠らないようにしている。
みなさんは本学(人格形成)どこで学ばれましたか?