戦後モノ不足からよりおいしいものでよりたくさん作れるように、
技術力を駆使し、機械を作り効率よく生産が行われた。
ところが、副産物の「公害」と言う地球を痛める結果になり、
水銀の垂れ流しや洗剤による水質汚染ごみ焼却からでる有害物質などいろいろあった。
それも克服し、技術はドンドン進化し続けているのだ。
医学の分野や人工頭脳やロボット技術、さらに進んで遺伝子組み換えのクローンねずみまで出現だ。
生産性をドンドン効率よく、またロボットや機械でするのは良いが、
将に人間が疎外されて働く場所をロボットに奪われることになるだろう。
英国がEU離脱の大きな理由は移民が英国人から働く場所を奪ったと主張する。
今はリアルな人の移動だが、将来はロボットの職場侵略だ。
笑い事ではない。
情報化社会は情報の受発信の時短と同時に個人対個人が直接ネットで人間関係ができるのだ。
これが、従来のサプライチェーンを壊しモノの製造販売に改革を起こしている。
新しいビジネスモデルを二つ紹介しよう。
1.佰食屋と言う肉のうまいお店だ。
1000位の食事でメニューも絞り込まれているし、テイクアウトもOKだ。
ところが一日100食出たら店は閉店だ。
食材の無駄もなく、飲食業の夜勤の長時間労働もなく成果をあげている。
一番のポイントは広告宣伝費が要らない。
御客さんの口コミで広がっていく。もちろんHPはあるが実にシンプルだ。
2.小さな葬儀だ。
198,000円と破格の値段設定だ。
実は葬儀は通夜告別式と会場がかしきり状態になるために、
ホテル代のように高く尽くし、人件費もかかる。
家族葬といっても、亡き人をないがしろにはできないから花を飾ったりして告別式まで行う。
ところが、この発想は会館の時間貸しという考えだ。
30分ならいくらと言う具合である。
供養する事は人間の尊い先輩に対する敬意、
後輩への伝達と言う当たり前の行為から考えると如何なものかと思う。
さて説教がましいことはいいとして、このビジネスモデルに共通するキーワードは「時間」だ。
この事例は全く正反対の対応を掲げました。
時間の中味の議論が残るが、マルクスの拡大再生産からすれば小さな葬儀だ。
佰食屋さん逆だ。
ギリシャ哲学では娯楽や遊びに時間を費やすことは人間を幸福にしないと考えた。
時間が自己の精神向上にむけ己開発することを良しとしたのだ。
ローマ人は違う「パンとサーカス」にたとえられるように、
映画で有名なベンハーのような馬車の競技を楽しんだり、
コロッセヨでは奴隷と野獣の戦いを観戦するのである。(実に残酷だ)
さて日本では江戸時代の商人や町人は二宮尊徳流の、
「勤勉、分度、推譲」まじめに働き倹約し分をわきまえ生活し、
子孫に譲ることが働くことの美徳とされたのである。
今でも世界で一番貯蓄率が高いのは、個人の収入の7割8割で生活し、
将来のために蓄えるのが日本人のくせである。
国の借金が1000兆円を超えても他の国に乗っ取られないのは、
借金に見合う国民の金融資産があるからだ。
とはいえ、財政再建をのんきに構えず、急務に解決願いたい。
世界的にライフワークバランスが叫ばれる時代に、
日本人は時間を三倍四倍に使う質の高い知恵を出し、
時間当たりの品質を素晴らしいものにし生産性を向上させるに違いない。
情報の選択と集中により、時間の品質を飛躍させるチャンスが来てる。
皆さんは新しいビジネスモデルと時間を如何に考えられますか?