金澤泰子さんはダウン症の書家金澤翔子さんのお母さんだ。
お父さんは52歳で心臓発作で亡くなられ、
良く面倒見てくれたお母さんの妹も6ヶ月後に亡くなられた。
「二人で生きる」と思ったとき、絶望に押しつぶされ苦しくて自殺を考えたが実行できない。
そして奇跡よ起これと何かにすがりたい気持ちで祈ったそうだ。
でも奇跡は起こらなかった。
夫が亡くなるとき翔子は「書」があってるよ。
そんな記憶があって「般若心経」を書かせたそうだ。
そして20才になったら個展を開いてやろうと決心し、銀座の画廊で開催した。
訪れた人がみな涙を流してご覧になられた。
翔子には人を感動させる何かを発してると感じ我が子を見つめた。
翔子が苦しんでるのではない、
私がお母さんとして思っていた子供でないことで苦しんでいる事に気づかれた。
翔子は嘆いてるのでなく、お母さんを必死に励まそうと何の文句も言わず字を書いてくれてる。
その時「母性愛」は優しく接する事でなく相手を信じてやらせてみて自立させる事だ。
「優しくする」のは現実を100%受け入れられないで、
自分が少しでも現実の苦しさから目を背ける行動だと感じられた。
苦しいのは母の私、自分の境遇を生まれつきだから、
比べようがないので嘆いていないのが祥子さんだった。
個展を開いてから180度世の中が変わった。
幸福がやってきた。
そうではなく自分の心を幸福でいっぱいにする事だと気づかれた。
「今が幸福、今が幸福」心がこの世のことをすべて決めてると笑顔で語られた。
翔子さんは社会的な常識と言う価値観がありません。
相対的にものが見れない。
絶対的なんだ。
だから宇宙からの波動を受信でき、「書」で表現できる。
自分に欲望がないから、おいしいものをみな上げてしまう。
みんなが喜んで貰いたいと純粋無垢に行動する。
私達は常識と言う檻の中で、自縄自縛してる。
翔子さんは天道を自然に生きる。
生成化育する法則に従ってだ。
お母さんは自分の常識で翔子さんをやさしく厳しく動かそうとしたが、
そうではない。
翔子さんの良識(純粋な打算のない喜んでもらいたいという良心)に従う事だったのだ。
此の話を伺ってマネージメントとは寄り添う事で自分の常識を押し付ける事ではないと気づかされた。
江戸時代の白隠禅師の公案に「隻手の音丈」と言うのがある。
「片手の声を聞け」と言う公案だ。
われわれは両手で音がすると常識が邪魔して此の公案を難しく考え理解できない。
しかし相対的な常識から離れたら誰でも理解できる。
将にお母さんが翔子ちゃんに寄り添ったように、
片手を止めてもおかあさんが近寄れば音はする。
相手を変えるのでなく自分を変えることだ。(仏教では転悟、転依という。)
常識が自分を不自由にして自縄自縛状態を自分で創ってるのが凡人の私だ。
皆さんは自分を変えるマネージメントできてますか?