阿難がお釈迦さんに尋ねた。
阿難『友は大事ですか?』
釈迦『友がすべてだ』
阿難『どういうのを親友としますか?』
釈迦『七つを具えるものを親友という』
1.与えがたきを与える(自分の大事なものを差し出す)
2.作(な)し難きを作す(恥かいたり、他人ではできないようなことをする)
3.忍びがたきを忍ぶ(友のためには普通しない忍耐する)
4.密事を語(つ)ぐ(包み隠さず話す)
5.密事を他に向かって語らず(内密のことを他人にべらべらしゃべらない)
6.苦に遭うも捨てず(苦しいがあきらめない)
7.貧賤たるも軽んぜず(貧しくても卑しくしない)
現実にこんな七つがそろってる友も少ない。
だから、故人を友とするようになり歴史的な人物の言行に学ぶ。
是を『尚友』と孟子が言ってる。
友との交わりにも二つある。
1.素交=人間と人間との自由な友好。裸の交わり、地位や、身分や年齢や利害、
そんな世俗的なものに一斉とらわれない関係を言う。
1.利交=なんらかの利害関係の友には五つある。
勢交=勢力に従う交際
賄交=金が目当ての付き合い
談交=言論名声のための付き合い
窮交=うだつのあがらぬ仲間付き合い
量交=相手の成功不成功を量っての付き合い、
成功したと見ればたかり、失敗したら寄り付かない
利交の友との友好は卑劣で不快である。
是非、素交の人物と出会いたいし、自分を素行の人物たらしめることだ。
『友』というのは手と手をあわせて、手をつなぐのをそのまま文字にした。
『朋』というじも肉と肉合いよったもので、月があい照らすという意味もあり、
師が同じ同門ということ、言い換えると志を同じくする仲間。
友が無く自分を磨くことはできないし、
仕事や人生を乗り越え心を高め強い意志を創ることもできない。
自ら親友になる資格があるかを問い直す今日この頃だ。
皆さんは親友を現実に持っておられますか、歴史的人物の尚友ですか?