二宮尊徳さんの夜話39に、
『学問は活用を尊ぶ、
万巻の書を読むといっても、
活用しなければ用をなさない」
先日二宮尊徳さんの七代目の子孫の中桐万里子さんの話を聞いた。
二宮尊徳像は小学校の校門のところに今でもあるが、
手にしてるのは二千五百年前の『大学』という儒学書だ。
だからいつも本を読んでいた印象が強かったが、
中桐さんによると別の像があって、それは日記帳を手にしているそうだ。
活用できない学問よりも現場で『よく観察』することを第一義にしていたからだ。
勉強嫌いで本もまともに読まなく、
100点取れなかった学生時代を思い出すと納得がいく。
学び方も「正解の方程式」があると決め込んで学びとても苦痛だった。
また、生きることも儲かるなんてことはなく、損しないように苦しく考えていた。
要するに苦しかったのでなく、
損することを避けたり、失敗を嫌い自分で苦しみ作り出していただけだ。
尊徳さんの夜話10に、
『人とうまれ出た以上は
必ず死ぬものと覚悟するときは、
一日生きれば一日儲け
一年生きれば一年の利益である』
この言葉には度肝抜かれましたね。
死なないと思ってるので、出し惜しみばかりしていた自分がいる。
モノも知恵も具体的な行動も、
一日しっかり生きて儲けた命
「一日儲けた」と考えたとたんに、
65年と270数日の儲けてた充実感がわいてきた。
いいことも悪いことも体験して知恵授けてもらった。
御釈迦さんも『惠智』と単なる技術論的な知恵と分けて、
苦しみから解放されるのに大事やとおっしゃってる。
皆さんは尊徳さん流の考え方どう思われますか?