感性論哲学に出会って

投稿日:2014年7月9日 更新日:

「目からうろこ」とよく言いますが、
芳村思風先生は実に実践的でわかりやすく解かれる。
人間は三つでできてる。
感性、理性、肉体の三つでできていて21世紀は感性の時代だと断言される。

「理性という能力は原理的に言って、
 現実に存在するものの中で変化しないものしかつかめない能力である。
 だから変化する物は理性能力によってはつかめない。
 ですから理性によって理解され把握されたものは固定化され変化しなくなる。」

「理性によって把握された構造とか法則とか真理は変化しないものになり、
 変化しないものしかつかめない限界がある。」

「言い換えると理性でつかむ真実の自己は変化しない自己となるのである。」

感性論哲学では「愛と志」のドラマが人生だと解く。
愛するとは努力がいると断言する。
愛は努力によって文化になり芸術になるまで高められると言うのである。
自分と違う人(他人)、物,事を受け入れ理解し、
育てていくプロセスに真実の自分がある。
この愛を育むのには方向性がいる。
それが志と言う意志だ。

理性からの意志は対立するから閉鎖的で苦しくなる。
感性(命)からの欲求としての意志で無ければ開放的で発展的にはならない。
早く、理性から脱却し、感性からの哲学を人類は持つときがきていると主張される。

恩師小田切瑞穂先生に学んだ「潜態論」と類似している。
潜態論では表現は理性に二つあるとおっしゃっていた。
1.虫眼鏡のように一点に集中し物事の不変性を探す収斂理性と、
2.電熱器のように周りを温める作用の理性を発散理性と言っておられた。

思風先生は感性と言うと感じることで物事の表面的な考察と理解されるからに違いない。
言葉の表現では深い感性をさして「直観」とも言われているが、
小田切先生の潜態論では発散理性=直観。
(芳村思風先生は直観=命の欲求と言っておられる)
実存主義的だ。

これは禅にも通じる。
(西村恵信先生の著書「坐る」の中に書かれている)
坐禅をする意味に5種類あって、
1.外道禅(古代インド人が死んだ後天に生まれることを願ってする坐禅のこと)
2.凡夫禅(凡夫が自分の幸福を求めるためにする坐禅のこと)
3.小乗禅(悟りを求めることを目的に、ひたすら自我を否定する禅のこと)
4.大乗禅(自分もこの世界のすべてが空であることを悟る、般若の空を体得する禅)
5.最上乗禅(如来清浄禅、自他、有無、迷悟と言う二元的地平を越えることによって、
       あらゆるこの世の出来事、日常性を絶対的に肯定して生きる道。いわゆる祖師禅)

この5番目の最上乗禅の姿勢そのものが芳村先生の姿勢であり、恩師小田切の姿勢だ。
悟ったらからと言って、苦しみや悩みが消えるわけでなく、
ますます志を高くし、愛を育む努力をこつこつ研鑽する事が楽しくなる。

その渦中に自分が見えてくるに違いない。

芳村思風先生の感性論哲学との出会いは変化する自分を楽しむ意志を強くするものだ。

皆さんは理性に振り回されていませんか?

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