最近の科学主義は心や精神の持ち方で物事が成就するというと、
非科学的な思い込みで証明されないからと言う理由で議論の土俵が違い
話し合いにならない。
とにかく物質でも人間でも『仮説』をたて、
外的刺激を与え反応を見る実験的な方法論でデーターを取って結論を導く。
もちろん心や精神に直接訴える映像や音や香りも使いデーターを取るやり方しかしない。
これに異論があるわけではないが、創造力や感性、
直感で生に接した感覚からのひらめく知性を無視しすぎだと感じてる。
逆説的だが、イメージしてあるべき姿を描く、観念が物質を動かすと言うことも
大事だと考える。
言いかえると『心』でイメージしたように行動すると縁が集まって結ばれ形になる方法も
あるのも事実だ。
理性にも陰陽のように二つあるとおっしゃっていたのは恩師の小田切先生だ。
1.虫眼鏡のように光を一転に集める理性=収斂理性〔智恵・合理性〕
2.電熱器のように熱を発散する理性=発散理性〔愛・慈悲・非合理〕
科学的と証する人の理性は虫眼鏡のように収斂する知恵で、クール、効率や
合理性を求める相対的知恵だ。
逆に非科学的で非合理的な電熱器のように発散する知恵は、愛、慈悲といった
相補的な理性の知恵だ。
私たちにはこの二つの理性のバランスをとるハイブリッドな超理性を育むことが
自分を磨くことだ。
現実は効率や合理性が経済的に豊かさや生産性を上げると、
妄信して、バランスを崩してるように感じる。
二宮尊徳さん流に考えるなら、
『愛のない合理性は罪悪 合理性のない愛はたわごと』
電熱器を一番にして、すべては愛から出発するからこそ物も人間も生かされると確信する。
みなさんは虫眼鏡、電熱器どう上手く扱ってますか?