ぶどうの木のような人

投稿日:2014年2月11日 更新日:

ローマ皇帝のマルクス・アウレリュウスの言葉に、
『ある人々は、誰かによくしてやると、お返しをしてもらおうと常に期待している。
 また、ある人々はそうではないが、よくしてやったことを意識して、
 相手は自分に帰すべき恩義があると思ってる。
 しかし、第三の人々は、そんな事を考えもしない。
 彼らはブドウの木のようなもので、何の見返りも期待せずにブドウの実をつける。
 〔中略〕だから,誰かを助けてやったら、〔中略〕後はもうほかのことに執りかかるのだ。
 〔中略〕私たちはそのような人間でなくてはならない』

仏教では「無位真人」とか「無依の道人」という言葉がある。
無位真人=如何なる枠にもはまらず、一切の範疇を越えた人
無依の道人=何ものにも依存しない自立独尊の主体者 

普通に社会で生きてる私たちのとってはブドウの木になったり、
無位真人となって行動することが現実的に可能かと問われるとほとんどの人は躊躇する。

洋の東西を問わず、与えることが先にできることが繁栄や成功の近道だ。
この行動が出来ないのは自分の本能的な利己心が邪魔するからだ。

まず、三流の人は利己心第一で、自分を守って、余っていれば他人に与える。
次に二流の人は現物を半分づつ分ける。
一流の人は利他心第一で、自分を省みず分け与えるブドウの木や無位の真人になる。

成功したり幸せになる条件には具体的に個人の業績もいるが他人への貢献の業績もカウントされる。
さらに、与える、利他行が実行でき、利他行することを喜びと感じる心を自ら醸成した人こそ、
ブドウの木の様な人であり、自由で自在な人物だ。

東洋の仏教では与えることを『布施』といって、四つの行為がある。
1.無畏施=無知から来る未来への不安や恐怖心を取る。
2.財施=衣食住やお金を与える。
3.法施=正しい法則を伝授する。
4.身施=相手の身代わりに身体を差し出し奉仕する。

小さなことからブドウのような木のようになり、
みんなに房を召し上がって喜んでもらい、
次の年も大きな房を実らせるそんな人になりたい。

それには今を大切にど真剣に生きることだ。〔自分に言い聞かす〕

みなさんはブドウの木を意識されたことありますか?

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