『このはし渡るな』とかかれたところを、
一休さんは端でなく真ん中を堂々と渡って、
『はしは渡らない』と言う、とんち話がある。
日本人のものの見方は両極端を受け入れてしまい、
真ん中を捜すのだ。
これを仏教では『中道』といい,儒教では『中庸』と言う。
ことわざであげてみれば面白いので紹介する。
1.立つ鳥跡を濁さず | 旅の恥はかき捨て |
2.君子危うきに近寄らず | 虎穴にいらずんば虎子を得ず |
3.芸は身の仇 | 芸は身を助く |
4.うそつきは泥棒の始まり | 嘘も方便 |
5.善は急げ | 急がば回れ |
6.喉もと過ぎれば熱さ忘れる | 三つ子の魂百まで |
7.大は小を兼ねる | 山椒は小粒でぴりりと辛い |
8.血は水よりも濃い | 遠くの親戚より近くの他人 |
日本人のものの見方は全く矛盾する二つを包み込んでしまうのである。
易経で言う「太極」、「光強ければ 景濃し」と全体をつかみ、
宇宙の存在そのものを見据え、二元的見方を離れるのである。
世界では『イエス・ノー』をはっきりするのを是とする見方だ。
だから、日本人のどちらも認めるのを『あいまい』と受け取られ優柔不断なものの見方とされる。
簡単に言うと『自我』を認め、自分の価値観を是にするのか、
すべてを受けいれる『無我』になる見方を是とするのかである。
日本には相反する「ことわざ」が存在するが上手く使い分ける。
判断の基準『思いやり』(仁)に置くのである。
1.利他のこころで相手や自然を生かすと考えること。
2.状況によって自由で自在に「無我」(自己利益ではない)となって判断する。
弊社のある支店ではお墓参りに花が必要なので墓花を取り扱っている。
花は生き物なので、咲ききって捨てることになる墓花が出る。
つぼみでなく咲いた花を『見ごろ花』とネーミングし、
幾分安く提供させてもらうことになった。
あるパートナーさんはお客さんが普通の値段と少し安い値段があると、
安いほうを買っていかれることに供養のこころが後回しになると感じておられた。
弊社のS課長は『捨てられる花が供養に使われ生きたでしょう』と答えたら、
「何か胸のつかえが取れました」といわれたそうだ。
日本のものの見方は状況によって人間から花へ主客をも変え、
命のレベルで生かされることを尊ぶのである。
まさに自然と人間が一体に中道を生きてる。
みなさんは『あいまい』か『生かしあう』どちらだと感じますか?