無欲の本当の意味

投稿日:2015年12月15日 更新日:

人類は狩猟採取時代をへて、農耕をしたり家畜かって生活する原始経済の時代にも、
生活し生きていくのに先行き不安や明日への保証のない恐怖感はあった。

不作や病虫害や川の氾濫や地震といった災害がある。
生きることは生活することだ。

経済活動には利益がなければならない。
利益には明日への挑戦の費用と現実の生活物資、安全な住居、衣類を確保する意味で必要だ。
原始経済での猟師なら、たくさんの動物を捕獲し利益を得て物々交換が行われる。

こんなことは誰でもわかってることである。
また、モノ(現代はお金)は手段でありお金に使われてはいけないことも解っているが、
何のために働くかと言うと『お金』のためと、
無意識に考えてしまうのが資本主義であれ社会主義であれ今日の経済社会だ。

利益ない仕事をすると自らを食いつぶす貧困化する社会になる。
反面、経済活動にはリスクが伴うとドラッカーは言う。
このリスクを如何に回避して安定的させる舵取りの腕がいる。

さて、利益を否定するつもりはないが、利益をどう生み出すかである。
略奪して利益を生むわけでもなく、嘘をついてごまかすわけでもないとすれば、
現代社会を生きる人々に『役に立つ』商品・サービス、
感動体験などを生み出し誠実に『仕事』生み出さなければならない。
『仕事』をすることで、猿だった人間が人間として人格や品格と言う精神的成長を産むのである。

『仕事は万病に効く薬だ』とおっしゃられるのは稲盛和夫さんだ。

私も同感だ。
ローマを滅ぼしたのはローマ人だというのである。
ローマ人が天賦の強さを持っていたわけでもなく、
周りの蛮族が弱かった故でもなかった。

征服者は『ローマ人よ恥を知れ、汝らの生活を恥よ、
ローマ人の放逸なる生活に巣食いし悪徳に他ならない』と言い放ったのである。
あのコロッセオでの奴隷と猛獣の一騎打ちを楽しむ遊興三昧のローマ市民となっていたからだ。

さて、日本が戦後先進国に追いつき今日の社会があるのは、
『仕事』を第一義と考え先輩たちが一心不乱に働いてくれたおかげである。
生活態度の心一つで国は富み、また滅ぶことを歴史は証明している。

心を高めることが重要であることは言うまでもないが、
個人は『無欲』が一番いいと教える。
『利益』と『無欲』は反するように見えるが全く違うのである。

安岡正篤さんは『無欲とは何も欲しないことと言う意味ではないと断言される』
もし仮に、そうならば死んでしまえばいいとおっしゃる。
無心とか無欲は何もなくすことでなく、自らの精神の向上一路に精進し、
純一無雑の状態を言うのであり、
平たく言えばつまらないことに気を散らさないことであると諭されている。

私の中に事業をしていて『利益』得ることは主先導ではないかと言う疑問が晴れ、
『利益』と『無欲』は仕事を通じて実践され心を高めることであると腑に落ちた。

皆さんはいかが考えられますか?

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