今日は営業が休日なのに戸田君が出勤していて、
お客さんを接客していたと報告くれた。
大変真面目な青年で、緊張するのか心のこもった話法ができなく、
お客さんといつも電車の線路のように平行線になってしまう。
そこで上司にアドバイスを受けたら、
「素の自分」〔素直な自分〕を出すことだと教わる。
方法も教わった。
1.「現場を見たいです」
2.「相談されてる人に会いたいです」
この二つを言ってみろといわれた。
素直だから実際にやってみたら、「家にきて!」「手伝って!」
とさそわれ、顔も柔和になったと喜んで報告があった。
「よくやった。」「素直に行動する。GOODだ!」と私も嬉しくなった。
さらに「なぜそんなことが思いつき言えなかったか?」と質問した。
すると彼は二つの理由からだと答えてくれた。
「社会人として失礼があってはいけない。」
〔社会人はこう話すものと決め付け、感情移入しない無機質な話し方〕
「変なこと言って相手の気分を損ねないか心配?」
〔自分が嫌われ傷つきたくないという防衛が働く(保護本能)〕
この二つの壁を自分でつくっていたようだ。
私はこんなアドバイスをした。「素直な自分には二つある」
「何でも思ったこと、感じたことを言うという自己中心的な素直」と、
「相手に関心があり、素直に現場を見たいという相手中心的な素直」である。
どんなに素直でも社会人としては自己中心的な素直は出しては人間関係は出来ない。
〔芸術家のような職業は自分の内在するものを引き出すために自己にこだわる面もある〕
一般には相手に関心を示す素直さは、人間関係を育むことはまちがいない。
自分以外の人やモノや自然に関心を持つことが関係性を深める。
社交辞令的な「建前の会話」でなく、
「本音の会話」で相手に関心のある素直な自分が、
自然に出せるようになれば人間関係はスムーズになり、社会人合格だ。
最近のネット社会では書き放題、言いたい放題の言論の自由があるが、
言論に義務や責任のない自由は如何なものか疑問に思う。
素直に関心を寄せる自分を育てたいものだ。
みなさんは素直な自分をどう感じられますか?