佐賀藩鍋島家の山本常朝の著「葉隠」は1704年の時代元禄文化でにぎわって大衆文化の時代に書かれた。
武士も立派な武士道を身につけることなく、堕落していくことが多かった時代でもあった。
なぜなら家督は長男しか継がれず、言い換えたら失業状態の次男、三男は20%もいたというのだ。
藩の秩序と財政を守るため、規律を犯したり、職務に失態があればすぐ切腹であった。
失業率20%は世の中の風紀は乱れ、武士の「町人切り捨てごめん」も多くあった。
町人は自分で生きていくたくましさと町人人情で助け合い、手に職をつけ生きていた。
百姓は5公5民とか6公4民と税金が藩によって違ったが、
飢饉がきたら生活は困窮し、子供を身売りしなければならないこともあった。
「葉隠」では「武士道とは死ぬことと見つけたり」とまで突き詰めた私欲を捨てる厳しい口調で語る。
現代の民主主義社会は自らの公共心や良心に照らした行動規範でなく、
私利私欲を肯定し、言論の自由でわがままもまかり通る社会と似通ってると感じるのは私だけだろうか?
さて佐藤一斎の言志録に、
「私欲はあるべからず、公欲は無かる可からず。
公欲なければ、則ち人を恕する能わず。
私欲あれば、則物を仁するに能わず。」
意味=利己的な欲心はあってはいけないが、
公共的な欲心はなければならない。
公共心が無ければ思いやりを他人に及ぼすことができない。
利己心があれば、慈愛の心持って他人に物を与えることはできない。
当時は士農工商と言う身分制度の中で、一番位の高いのが武士であるからこそ、
このような人格形成を求められたに違いない。
戦後民主主義になって、平等になったことは大変喜ばしいことである。
私達は身分から解放され自由に発言ができ、上下の身分さもなく対等な関係が実現した。
これは何を意味するかと言うと、町民や百姓や職人が武士になることである。
自分で自分の公共心を磨いて対等な人間関係を作ることだ。
身分や差別がなくなったが、自分の中に私欲に打ち勝つ公共心を養わなければならない。
森信三先生は「修身教授録」のなかで、人間が真に欲を捨てることは、
実は自己を打ち超えた大欲の立場に立つということ。
すなわち、自分一身の欲を満足させるのでなく、
天下の人々の欲を思いやり、できることなら、
其の人々の欲をも満たしてやろうと言うことでもある。
つまり、人間がこの世に生まれた使命を果たすためには、
大きな仕事はできません。
しかし、それを理解するには学問がいるのである。
小生のような世代は、これから日本を背負って立つ若者たちに、
学問する機会を与えていかなければならないのではないでしょうか?
こんな言葉を森信三先生はおっしゃっている。
江戸時代の山本常朝、佐藤一斉、戦後の森信三先生にも通じる王道の哲学である。
私たち人間は言葉どうりにできる完全な存在でなく、不完全な存在である。
だからこそ、「大欲は無欲に似たり」というように公共心を自ら育成する志がいる。
「志」を持つことを意志が強いとか意志があるという。
「志」はあるものでなく自ら気づき、育てるモノである。
皆さんは自らの「志」育ててますか?