『見えざる手』これはアダムスミスの言葉である。
大阪大学大学院教授の堂目卓生先生は、
この自然からの『見えざる手』という表現は彼の論文の中で一箇所しか見られない。
それだけにスミスは思いを込めた哲学的な言葉だったに違いないと語られる。
「道徳感情論」に「国富論」はアダム・スミスの有名な著書だ。
近代の科学文明のベースを創ったといっても過言でない哲理だ。
論語に「衣食足りて礼節を知る』という言葉がある。
まさにこれと同じである。
利己心からスタートする利益追求が社会と接点を持つことにより、
利他心(公共心)に精神が涵養されることを『見えざる手』といった。
さらに堂目先生は、
『こうして個人はしばしば、社会の中で働き、そこから利益(自利)を得ようとするとき、
実際にそれを促進するプロセスで、自己の利益よりも社会を効果的に機能させるように働きかける。
ここに人間の本姓がある。何か別の原理を見出すことができるのだ。』
スミスも堂目先生も人間の関係が社会的に広がれば、
人間の心の奥にある『利他心』が働くと考えられたのである。
仏教でも『自利利他』と考え、別のものでなく一如のものだとといている。
『煩悩即菩提』も迷いの中にこそ澄み切った菩提心(利他心)があるとも諭してる。
現実の世界は『見えざる手』によって平和や繁栄がなされているか?
競争と奪い合いの世界だから仕方ないと自己中心的な人が自らの利益を得てる更に増やそうとしてるのか?
アダム・スミスの人間が動物を超えた存在としての哲学的深い意味において、
人間の本性に目覚める願いを現代を生きる私の胸に強く問いかけてくる思いがする言葉だ。
皆さんは見えざる手でどんな活動されていますか?