感性論哲学の芳村思風さんがおっしゃってるのは、
『矛盾を生きる』
理性は答えが一つと効率や合理性を見つけるため、
排除の論理であるとおっしゃられる。
近代社会はこの理性によって技術的なことが発見され、
工業化社会が発展し、モノが豊かに生産された。
しかし一方では理性は対立を生み戦争が絶えないのである。
次の時代は『感性の時代』と断言されるのが思風先生だ。
感性の特徴はキリスト教で言うアガペ(与える愛)であり、
仏教的には利他行である。
理性的に分別するのでなく、すべての命に愛を与える。
これは同種を前提とするのでなく異種を前提としなければできない。
先生は感性の時代こそ『矛盾を生きる』
理性のように同種を求め異種を排除しないことが最も重要だとおっしゃる。
さて、先日モラロジー研究所が発行してる『ニューモラル』という雑誌のなかに、
『二心異体』という言葉があったので何気なく読んでいたら、
夫婦とはどういうものかということが書いてあった。
将に、思風先生がおっしゃられる「矛盾を生きる」修行の場が夫婦なのである。
文章の冒頭に「ガツン」と頭をたたかれたような表現が目に入ってきた。
「夫婦だから一心同体ではない」
「一心同体」は思い込みだ。
なぜ、もっと早く教えてくれなかったのかと、もどかしさが込み上げてきた。
「過去の無駄な喧嘩することなかった」と思わず発した。
生まれも育ちも性格も違うのだから、一緒にするのでなく、
相手の長所に目をむけ事実を素直に受け入れることが最も必要だと解かれてる。
錯覚していた自分に気づいたのであるから、
これからは二心異体の素晴らしさを味わえることになる。
今までは家庭と社会は違うと勝手に思い込んでいたに過ぎない。
自分と同じ価値観であると発想するのは精神的に幼稚な独りよがりか、
ヒットラーのように傲慢になった独善に違いないのである。
夫婦は互いが尊敬し合えることが必要条件で、
互いが自らを磨くことは充分条件である。
松下幸之助さんは信長、秀吉、家康の「殺す」、「鳴かせる」、「鳴くまでまとう」のホトトギスのたとえで、「鳴かない鳥もいるな」と事実を素直に受け入れ答える。
名経営者は「二心異体」と個々の価値観を認め受け入れて経営した達人だ。
事実に「素直」。
やり直しはきかないが、出直しはできる。(恥ずかしい)
皆さんは一心同体派ですか?二心異体派ですか?