大学に学ぶ

投稿日:2015年7月18日 更新日:

「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しむるに在り、至善に止まるに在り。」
これは「大学」ので最初の書き出しだ。

大変意味深い言葉で一つづつにも多くの学ぶべきものがあるが、
特に「善」に至り止まる。「止至善」が自らの目標であり、自らの修身である。

大人になるまでに両親や先生、友達から教わったことは判断は「良心」であり、行動は「努力」だ。
この二つに尽きる。

ところが。社会人になると善行を貫こうとしても貫けない。
若き体験の少ない時は、駆け引きや強引な私利私欲の意地悪い人に押し流されてしまいがちになった。

いろんな人から要領よく生きることを進められる。
しかし、それは本心ではないと感じていたがはっきりした信念がなかった。

だからと言って、善ばかり行ったのでなく、
小市民の私は小さなうそもついたし、
悪びれたことにあこがれてグレたりもした。
反省しなければならないことが多くある。

安岡正篤さんは「善人よ強くなれ」という一文を残しているので紹介する。

「善人に、この際最も大事なことは、善柔・善弱。善怯(きょう)でなくて、
善にして且つ強くなければならない。
パスカルは『正義が強いか、強いものが正義か、正しいものが強くなるか、
強いものが正しくなるか、より他に人間は救われない』
と言っておりますが、救われるためにはどうしても善人が強くなければいけません。
強くなるためには、感情的。感傷的にならずに線が太くならなければいけません」

善人が強くなることは納得だ。

この文章からは細いものが太くなるように感じる。
私なりの解釈ではもともとの線は変わりませんが、
『私心』をなくすことで太くなったと感じることだと考えている。

しかし、なかなか簡単には『私心』を無くせませんが、
中村天風さんは上手い方法を教えてくれている。

「お風呂に入って肉体の垢、汚れを取るように、
毎晩眠りに着く前に、心の垢、汚れを取る。
心の中のお掃除習慣をつける。」

こんな風に実践方法を教えてるのだ。
世の中がみんな善人ばかりでもなく、みんな悪人ばかりでもないが、
同じ人間が時には『私心』ばかりで利己心を信じきった言動をすることがある。

この毒にあたると自分が間違ってるのと迷いだすこともあるし、
毒を食べて善弱を引き起こすことになるのも人間として必然だ。
だからこそ方法論として、毎日心の垢を取るのだ肉体の垢の汚れを取るように!

「大学」を始め古典から学ぶことは多いが、自分で実践しなければ身に付かない。
クイズ番組ではないが知ってるだけでは「活学」とは言わない。
実践に生かしてこその学びである。

皆さんは学び如何に実践されていますか?

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