私たちが「正しい」と考えるのは言葉の上での「正しくない」ということである。
これは右か左かと問われて、右の答えが正しい時もあり、
左の答えが正しいこともある。
すると、答えを出すための条件は、基準はということになる。
ほんとに言葉というものは厳密に言わなければ相手に伝わらない。
理屈より感性を重んじれば解ると思うのは私だけだろうか?
さて、仏教の善悪の教えとは、
善=自他を活かし、ともに喜ぶこと。
悪=自他を殺し、悲しませること。
だから、善きことを思い、善きことをなせば幸福は必ず実現すると断言する。(因果の法則)
ところが、人間とは不完全だから、善きことばかりできないのも事実だ。
時々愚痴っぽく相手をそしり、自分のおもいどうりに行かないと自他を殺す行為をする。
実に情けないが、未だに私も善思善行に徹しきれないのが現実だ。
この話で面白い逸話があるのでご紹介する。
唐の時代75万字ある四書五経を丸暗記して受ける科挙に、
(何万人が受けてトップ10位にはいるぐらいの難関)
29歳で進士に合格した天才の白楽天が「仏法の大意はつまるところ何なのか?」と、
道林和尚に聞いたら、「諸悪莫作 衆善奉行」(悪いことするな善いことをせよ)
白楽天はあまりにも平凡な答えにあきれて、
ある和尚に「道林和尚の答えは三歳の童子でも知っていますよ」といったら、
「三歳の童子でも知っていても、八十歳の老人すらこれを実行することは難しいぞ!」
と応じられたという。
私たちの正しい、正しくないの議論が知ってる知らないという基準で、
自他共栄の行動が正しいか正しくないかをはかる基準になってないことに気づか去れる次第だ。
皆さんは正しいいの基準行動ですか?