大阪大学の総長を勤められた鷲田清一さんが朝日新聞に連載されているコーナーが
「折々のことば」だ。
解りやすく短い文章だが、「君はこんな行動してる」と迫ってくるような問いを感じる。
今朝は「同じ釜の飯を食う」だ。
会社=カンパニー。PANIS(パーニス)はラテン語でパンを意味する。
COMは「共」にを意味し、食料を分け合って食べる、
ひいては食いぶちを共にする意味だ。
上記の解説があって、
筆者は「会社が、国家が、もはや個人を最後まで守ってくれないだろうとの予感の中で、
いかに生き延びるかは、苦楽をともにした仲間をどれだけ持っているかにかかっている」
と結んだ。
私の10歳ぐらいのころは隣組の組織がお葬式でもみんなでやってくれ、
助け合い支えあって生きざるを得なかったが楽しかった。(みんな貧しかった)
ところが、日本も戦後の復興を果たし豊かになってくると、
欧米のライフスタイルへ変化し、五階建てのコンクリートの住居になり、
家庭電化製品で家事の手間が省け、みんなが自家用車を持つ時代になる。
一般に言う核家族化であり、さらに個人主義化していくのである。
昭和40年代は飛躍的に景気がよくなり、豊かな日本が実現するのであるが、
成長することばかり考えてきた日本が直面するのは少子高齢化の現実だ。
経済の拡大再生産ができなく縮小せざるを得ない市場の大変化が起こっている。
「同じ釜の飯を食う」仲間がいる。
お互いが依存しあう仲間でなく、立派に自立した大人の仲間である。
団塊の世代が年金生活をするには支払う人の人数が少ない事実を見れば先の保証はない。
会社はパンを分かち合う場である事は今も変わりないが、
もう一つ大事なのは自立した大人の精神を作る場でもある。
仕事を通じて苦楽をともに体験した仲間であるからこそ互いが助け合える。
「苦楽をともにした仲間をどれだけ持っているかに懸かってる」
この結びに深い意味を感じた。
皆さんは同じ釜の飯を食ってますか?