この句は第一生命が28回サラリーマン川柳の10位入選の句だ。
応募は4万138通あり、なかなか味わい深い。
若い時なら24時間走り続けたいと夢中になって仕事した。
ところが身体は睡眠と栄養補給がいる。
他に充電器がほしいと考えた。
最近は思いはあるし方法もある程度考えれる年齢になったら、
スピーディに行動できず、もどかしいという意味で充電器がほしいというところだ。
人間は身体を健常に保つのも大事だが、精神的成長も大事である。
私の好きな愛媛県の詩人坂村真民さんが個性を大事にする現代の人にメッセージをくれてる。
「脱皮と個性」
「個性というのは脱皮することによって、その濃度を増してゆくものである。
それを家庭でも学校でも教えなくなった。
それが今の日本である。
私が宗教が大切だというのは。このことを言いたいからである。
宗教とは脱皮、解脱のことなのである。
かっての彼と今の彼とは、別人のようである。
そしてそれによって面(顔)も一変してくる。
私はそういう人を何人か知ってる。」
個性教育とは自分の意見をはっきり言うことだけでなく、
他人の意見を素直に受け入れることでもある。
キリスト教でも「右のほほを打たれたら左のほほを・・・・・・」と受け入れる勇気を教えてる。
荘子は「無用の用」について解き、事実を100%受け入れて人生の山坂を蛇のように歩めと教える。
個性は脱皮からできるなら自分の都合は二番にして、
山坂の現実を100%受け入れ解決するプロセスの中にできる。
素直に現実に向き合えば、蛇のように脱皮を繰り返し個性ある顔を造るに違いない。
良寛(1758~1831年)も現実に向き合えと文政11年の三条大地震のとき、
与板の山田杜皐(とこう)宛に書いた手紙の文章。
「地震は信に大変に候、野僧草庵は何事もなく
親類中、死人もなく、めでたく存知候
うちつけにしなばしなずてながらえて
かかるうきめを見るがわびしき」
「災難に逢う時節には災難に逢うがよろしい候
死ぬる時節には死ぬるがよろしく候
これ災難をのがるる妙法にて候」
最初の段では私みたいに気楽に生きてるものが死なず、
こんな事件を見聞きしわびしいと心痛めてる様子の言葉。
下段は現実を100%受け入れ「今に生きよ」と励ます禅独特の言い回しだ。
二度とない人生悔いのない今を歩む。
皆さんはこの句いかが読みますか?