孔子先生に思う

投稿日:2012年10月10日 更新日:

「論語」は孔子先生が死んでから書かれたのである。
論語の最後の堯曰第二十(ぎょうえつ)に書かれてるのを推測すると、
戦乱の世を生き抜いた生き方が見えてくるように思うのは私だけだろうか?

「孔子曰く、命を知らざれば、以って君子たること無きなり。
 禮を知らざれば、以って立つこと無きなり。
 言を知らざれば、以って人を知ること無きなり。」

孔子先生が話された、天命を知らなければ君子たる資格がない
礼を知らなければ、世に立つことができない。
言葉を知らなければ、人を知ることができない。

孔子先生は九人の姉と一人の兄がいた貧しい家に育った。
苦労を肌で感じていた人物に違いない。
500年も前の周時代の文王、武王の秩序ある政治を理想とし、
人格を磨き「徳」を養うには「仁」を第一義にした。
五十六歳に魯の国を出て旅し、
六十九歳で故郷に帰ってきて七十三歳で亡くなった。
論語の中には自分について学ぶことが好きで好きでたまらず、
食事も寝る事も忘れるとも書かれてる。

「知命」どんな逆境にあっても天を怨まず、人を咎めず信じて安心して道を楽しむのがリーダーである。
「知礼」礼を持って行動し進退度を見失って品格が出来なければ、リーダーとしては務まらないのである。
「知言」言葉を知らないと善悪正邪を弁ずことが出来ず、義理人情に通じなくなり、
    人間を理解してるリーダーになれないのである。


言い換えると、「知命」とは天から与えられた使命を知る。
       「知礼」とは社会秩序・国家の法制・人倫の規範を知る。
       「知言」とは人の発言の真意を見抜くこと。
孔子先生には会ったことも話したこともないのですが、
いろんな書物に記されてることから推理すると、 

「天も人にも責任転嫁せず、常に未来に希望を抱き、
 学び続け決して諦めないで現実世界を精一杯生き、
 努力を楽しまれた人物だ。」と察する。

論語では君子と小人となって表現されているが、
私は自分の心に照らして考えるときは、
君子=利他行(慈悲心)、小人=利己行(本能心)と解釈している。

仏教では「自利利他」と表現されるように、
教えの究極は「慈悲と知恵」を学び実践し、
積極的に生きることが「安心」と「立命」が実現されると解かれる。

仕事、人生は頂上のない山登り。
孔子先生に学び、一歩づつ諦めず学び実践し続けることにブレないことだと確信する。

みなさんは孔子先生どう感じてますか?

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