月命日のお参り

投稿日:2012年9月27日 更新日:

20日は父親の月命日で、毎月旦那寺の西本願寺の西願寺の住職さんがきてくれる。
住職は80歳ぐらいになるので若住職と交代ぐらいになっているのが現状だ。

今まで父親と兄が仏事を行っていて、二人がなくなってからは母が月命日のお参りを行っていた。
認知症になって実家で生活が無理になって三年になるが、
私が毎月御住職を向かえ、お参りをしてもらうようになった。
仏事は行っていたが、宗派の考え方を詳しく知らなかった。

昨日、浄土真宗本願寺派・総長の橘 正信さんの話しを聞く機会があった。
阿弥陀如来になるまでは法蔵菩薩として四十八願をたてられ修行されていた。
四十八願をすべて実行され如来となり、この世でわれわれを救ってくださると話された。

「南無阿弥陀仏」を唱える念仏によって救われる他力本願の教えだ。
自力本願は修行がいるが、他力本願は身も心も阿弥陀さんに任せるだけで楽なようだが、
「自力作善」を自主的にするそうだが、身も心も阿弥陀さんにお預ける善行をする。

自分には意志があるので、丸投げはなかなか出来ないのが凡夫の私だ。
他力本願とはいえ、自力で任しきり信じきるには自力がいる。

一方、禅宗のように「只管打座」は自力で修行するように思うが、
坐禅も師匠が警作をもって見守ってくれ導びき、
禅問答もしてくれるのだから他力本願(師匠に頼る)ではなかろうか!

さて、総長の話しは聖徳太子の「世間虚仮 唯仏是真」(世間は仮の姿で仏の世界が真実だ)
という話しで、人生には依りどころがいるという話しを続けられた。

お金を依り所にする人も、地位や名誉を依りどころにしたり、
自分の価値判断(私意)をよりどころにしたり、
自分の好きなことすることを依りどころにする人もいるが、
一様にみんな病気になるので、お金も地位も、自分の価値も役にはたたない。

心身を「阿弥陀仏」という仏を依りどころにすることで、
「心身安楽」を得れると締めくくられた。

仏の教えは人間界の教えではない、
衆生とは命あるもので動物や植物、鉱物もいる命レベルのことを言う教えであり、
人間の分別のモノサシを捨て、仏のモノサシに心身を任せる教えだと解かれた。

みなさんのモノサシはどんなモノサシですか?

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