毎朝、朝礼を行っている。
工事部門が一番早く7時前後、
次には加工や彫刻部門に建築課は8時で、
一般事務と営業は8時45分に始まり3回に分けてやってる。
今朝、8時の朝礼に参加した。
月間朝礼の本の読みあわせがあり、
「学ぶことはまねること」という意味のことが書かれていた。
必ず、担当に当たった人はコメントを一言する。
今日の担当N君が会社訪問で営業に行ったら、
その会社の壁に「社会人はカンニングができる」と書いてあったそうだ。
そのときはよく意味がわからなかったそうだが、
よく考えると良いものはまねして盗んでも社会はOKであることだと気づいたという。
学校ではカンニングはご法度だが、
社会はこの人は良いもの持ってるといえばまねできる。
黙って盗むのが気が引けたら、正面きって「教えてください」と素直に言えば、
たいていの人は親切に教えてくれる。
カンニングは真似することだ。
学ぶことに通じる。
こんなコメントをくれた。
私ごとだが、二度目に勤めた会社の社長に二つのことを教えてもらった。
1.三流大学卒で一流の人と勝負するには今から勉強してもおっつかない。
だから「耳学問しろ」人脈リストを作って、この人は何の専門家を調べ、聞きに回れ。
新聞記者はみんな賢いわけではない。
そんなリストがあるんや。
インタビューして耳で聞いて書くだけや。
2.この人は一流という人の態度、物腰、会話のリズムといった立ち居振る舞いを真似しろ、
そのために月に一回高級ホテルで昼食をしてロビーで人間観察をしろ、
2,000円出しても駐車代はただで、一流の人の所作を学べるといわれた。
23歳ぐらいだった。
仏教では教理(お経)から学ぶ方法を「理入」といい、
実践から入る方法は「行入」という。
もともと頭の悪く思考力や創造力、集中力のない私にはぴったりなのは耳学問だ。
社会の競争は成績によってクラス分けはないから勝てないと思うか?
カンニングOKで学べる最高のチャンスと思うかでは10年先は雲泥の差になる。
先日こんな言葉を聞いた。
「秀才は先が見えすぎて努力しない。
愚才は先が見えないから努力する」
愚直に地道に人の何倍も働くのだ。
自分が馬鹿であることを知っているからだ。
決して褒められないが、
愚才の私にとって人の倍の時間をかければ何とかなると真似し続けた。
仕事でも人生でも大事なことは情熱を持って行動する勇気だ。
すると志も明確に鮮やかに見えるようになってくる。
「社会人はカンニングOK」自分を省みて腑に落ちる言葉を今日の朝礼で聞いた。
皆さんは尊敬する人や目標にする人の真似する派、しないで独創する派ですか?